経済・社会

2024.03.03 13:30

純粋経験、ストリートメディカル、政策VC……8つのキーワードから読み解く次の時代

米国で拡大する「ピンクスライム・ジャーナリズム」─ 辻 浩平


米国では“ニュース砂漠”と呼ばれる報道の空白地帯が増えている。米ノースウェスタン大学が2023年に発表した調査によると、05年以降、2900を超える地方紙が廃刊に追い込まれた。地方紙の約3分の1が消滅したことになるという。

地元のニュースを扱う報道機関がなくなってしまった地域が“ニュース砂漠”だ。そして今、その空白を埋めるかのように広がっているのが“ピンクスライム・ジャーナリズム”と呼ばれるものだ。

「ピンクスライム」とは、ひき肉をかさ増しするために使われて問題となった加工肉のこと。これになぞらえて、ジャーナリズムを装いつつ、政治的に偏った記事などを紛れ込ませているとして、批判的な意味で使われる。米国主要メディアやコロンビア大学などは、情報空間の健全性を損なうものだとして批判を強めている。

「現場に一切行かずに原稿を書いていた」。そう明かすのは、ジャーナリストのライアン・ジクグラフだ。ピンクスライム・ジャーナリズムの「最大手」ともいえるメトリック・メディアの前身の会社で働いていた経験がある。自治体の発表文や他社の報道を切り貼りした記事を大量に生産していたという。

メトリック・メディアは今、1300にのぼるニュースサイトを運営している。ニュースサイトにはいずれも地域の名前が冠され、記事も、地域の訃報や高校スポーツの結果、自治体からのお知らせなど、一見、地元メディアのようだ。しかし、ほとんどの場合、地元に記者はいない。毎月500万もの記事が配信されているが、社員はおよそ70人だ。

政治的に保守色の強い記事が並び、事実関係が疑問視されるものも少なくない。メトリック・メディアが拠点を置くイリノイ州でのニュース・サイトでは、民主党の現職知事を攻撃する記事が目立つ。22年の州知事選挙の直前には、知事と知事のいとこでトランスジェンダーの人物の写真を並べたうえで「男の子は女の子になるべきだと教える教育政策を進めようとしている」との記事が一面を飾った。事実とは異なり、知事側が強く反発した。

こうした報道に批判が強まる中でも、メトリック・メディアが米主要メディアの取材を受けることはなかった。今回、数カ月の交渉を経て、代表のブライアン・ティンポーンが私たちの取材に応じた。ティンポーンは拍子抜けするほど気さくな人物だった。メトリック・メディアが発行している新聞を見せると、あっけらかんと「記者によって書かれた記事なんてほとんどありませんよ」と言う。記者がいないのに、記事が出来上がる仕組みは次のようなものだ。

メトリック・メディアはオンライン上に地元の行政機関や高校のスポーツチームなど、ニュースを発信したい外部の人が投稿できるフォーマットを設置。いつ、どこで、誰が、何をしたかなどいわゆる5W1Hを投稿フォームに書き込めばAIがニュース記事のスタイルに仕上げる。投稿フォームにアクセスできるのは、アクセス権を与えられた人々だけだ。

記事1本の作成にかかる時間は7分ほど。社員およそ70人ながら、毎月500万本を超える大量の記事を配信できる理由はその効率性にあるという。

政治的に偏っている記事が多いのでは、と指摘すると、それは投稿フォームへのアクセス権を保守派の人々を中心に渡しているからだという。そのうえでティンポーンは主要メディアでは保守派の声が十分反映されていないので、そのバランスを取る役割を担おうとしていると主張した。

「これまで保守派の意見は主要メディアから排除されてきました。主要メディアこそ偏っていて、私たちはそれを改善しようとしているだけだ」。

そしてティンポーンはこう締めくくる。「私たちがピューリッツァー賞を受賞するような一流メディアではないのはわかっている。それでも、完全な形ではないが地元のニュースは伝えている。ニュース砂漠が広がるのがいいのか、不完全でも地元のニュースを伝えるメディアがあった方がよいのか。よく考えてほしい」

ピンクスライム・ジャーナリズムに批判が集中するには訳がある。それは地元メディアを装っていることだ。背景にあるのが、全国メディアと地元メディアの信頼度の違いだ。ナイト財団が22年に発表した世論調査によると、「全国メディアを信頼する」と回答した人はわずか27%。一方、「地元メディアを信頼する」と回答した人は20ポイント近く高い44%だった。

地元メディアは全国メディアほど政治色が強くなく、ニュースも地元密着で読者に近いことがその理由だとみられている。ジクグラフは「多くの人が地元メディアを信頼していることを利用するかのように、地元紙の顔をした政治的チラシを出している」とメトリック・メディアを批判している。

さらに懸念されるのは情報空間全体への影響だ。信頼できる地元メディアと思っていたものが偏った情報を出し続ければ、人々がニュースを信用しなくなることにもつながりかねない。米メディアが指摘するように、まさに情報空間が汚染されかねないのだ。24年に大統領選挙を控えた米国では、政治ニュースはさらに増えていく。ティンポーンが言うところの「不完全なニュース」が情報空間そのものに与える影響を私たちは見極めていかなければならない。


辻 浩平◎NHK報道局国際部記者。エルサレム支局、ワシントン支局を経て2023年11月よりウラジオストク支局長。オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所では、客員研究員としてメディアのあり方や信頼の低下などを研究。

(文=辻 浩平)
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イラストレーション=ローリエ・ローリット

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年2月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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