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2024.03.01 14:45

生ハムから半導体まで 想定外を生き抜く、多角化経営の道筋 

協同インターナショナルは創業以来、海外の豊かな食を日本に紹介し続けている。その一方で、半導体事業も手がける。

協同インターナショナルは創業以来、海外の豊かな食を日本に紹介し続けている。その一方で、半導体事業も手がける。

VUCAの時代と呼ばれているが、パンデミック、地球環境の変化、地政学的リスク、自然災害、経済のグローバル化に新たなデジタル技術の登場などなど、本当に先が予測できない。

今までのビジネスがいつまでも安泰とは限らず、企業の健全な持続や発展のためには、新たな市場やサービスなどの新事業展開・事業の多角化の可能性を常に考える必要がある。だがしかし特に中小企業においては、ヒトモノカネといった経営資源に制約があり、むやみに分散させることもまたリスクだ。 

川崎市に本社を置く、協同インターナショナルを紹介したい。社員数100名の中小企業ながら、古くから多角化経営をしており、その分野は半導体、IoT、ライフサイエンス、食品、酪農・畜産と幅広い。新事業の開拓や育成について池田謙伸社長に話を聞いた。


原点は、農業機械商社 そして生ハムへ 

先代の創業者は1960年代にアメリカ留学を経験し、アメリカの豊かさを実感した。帰国後、当時の日本に外国のような豊かさをもたらしたいとの想いから1970年に同社を創業した。当初は雑貨の輸入販売などを行っていたが、縁あってイギリスの農業機械メーカーと出会い日本の代理店となった。ちょうど日本が国策として農業の近代化を推進した頃であり、酪農先進地域であるヨーロッパから北海道への大規模農業技術の導入に尽力した。 

農業機械商社として北海道へ通ううちにヨーロッパでソーセージやハムづくりを学んできた職人と知り合い、当時は珍しかった本場のソーセージやハムのおいしさに感動し、販路開拓をする約束を取り付け、東京でスナックや飲食店への行商をはじめた。 

当時の日本に生ハムを食べる食文化はなかったが、今ではレジェンドと呼ばれるような有名シェフたちがイタリアから凱旋した頃と重なり、その頃日本ではまだ流通がなかった生ハムがとても喜ばれた。 

ほどなくイタ飯ブームも到来。トレンディドラマに登場した生ハムがお茶の間の話題になった。生ハムは既存市場もなかったが、加熱していないというリスクが大企業の参入障壁となり、またレジェンドシェフたちがファンになってくれたこともあり、同社は生ハムのブルーオーシャンを泳ぐこととなった。自社工場での生ハムの量産も開始した。1990年代に入るとようやく生ハムの輸入解禁となり同社は生ハムの輸入にも他社を先駆けて乗り出した。 
国内自社工場、海外5カ国からの輸入と多様な生ハムを取り扱っている 

国内自社工場、海外5カ国からの輸入と多様な生ハムを取り扱っている 

半導体の見本市での出会い 独占市場とその後 

そこに多角化に向けた転機が訪れる。ある時生ハムの買い付けで訪れたサンフランシスコで商談のアポイントをドタキャンされ、時間を無駄にしないために同地で開催されていた半導体の見本市WESCON(現SEMICON WEST)会場を訪れた。そこで出会った人にこれから日本で「スパッタリングターゲット」を販売したら儲かるよと教わり、見たことも聞いたこともなかったターゲットの輸入販売を開始した。 

スパッタリングとは金属をイオン化して飛ばし成膜する半導体の一工程であるが、膜の材料となるターゲットは消耗品であり、当時国内で唯一流通していた装置メーカーの純正品が極端に高額であったため、比較的安価だった同社のターゲットに大手メーカーからの注文が殺到した。こちらもほぼ独占市場だった。 
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文=赤羽優子

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