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2024.01.18

半年でミシュラン獲得! 元エチェバリ前田哲郎氏、4時間のコースをスペインで体験

半年でミシュラン獲得の元エチェバリ前田哲郎氏と筆者

スペインでミシュランの星が最も多く集まるバスク地方―その起点となるサンセバスチャンやビルバオからも離れた人口100人ほどの小さな村アシュペは、世界中の美食家が足を運ぶ旅の目的地だ。前田哲郎氏は、村のレジェンドである「エチェバリ」オーナー・ビクトル・アルギンソニス氏のもとで薪焼きの技術を学び、スーシェフとして10年働いた後に独立、2023年5月に自身の店「Txispa(チスパ)」を同じアシュペ村にオープン。その半年後にミシュランスペイン版で一つ星を獲得、日本人ではスペイン最速という快挙を成し遂げた。

今や「スペインで最も有名な日本人シェフ」とも称され、海外や日本での評価をますます高めている前田氏。幸運にも、ミシュランスペイン版発表から5日後にお店を訪問、前田氏に話を聞くことができた。スペイン語も話せぬまま移住した異国の地での苦労、日本人が海外で結果を出すための必須スキルとはー。
 

アシュペ! と村の前が呼ばれ、「ステージまで走った」

──このたびはミシュラン一つ星おめでとうございます。受賞後どんなお気持ちでしたか?

いやー、嬉しいですね。店の名前と自分の名前、何より「アシュペ!」と村の前が呼ばれたことが嬉しかった。その村を代表してここにいる、という実感が湧いてきて、知らない土地で移民として頑張ってきた十数年が報われる思いでした。ステージまで走っていっちゃうくらい動転していました(笑)。

──今日もレストランの周りに見物客がたくさんいて、注目度の高さを感じました(笑)。ミシュランは、前田氏にとってどんな存在ですか?

今回の一つ星という評価が、僕に社会的な人格―「自分がプロの料理人である」という自覚を与えてくれたと思います。よく自己とか自我って何だろうと考えるんですが、例え「僕が前田哲郎です」「僕はシェフです」と必死に訴えても、誰からも反応がなかったら自己を認識できないと思うんですね。そういう意味で、ミシュランは社会からのアンサーバックであり、社会的に認められたことが嬉しかったですね。

コースはキッチンから始まる。インタラクティブなプレゼンテーションが印象的。

コースはキッチンから始まる。インタラクティブなプレゼンテーションが印象的。

6テーブル24席の店内。築400年の石造りの一軒家を改築。

6テーブル24席の店内。築400年の石造りの一軒家を改築。

オリジナリティは「自己」というフィルターを通して出てくるもの

──エチェバリで長年働かれ、スーシェフとして様々なお皿も考案されていました。エチェバリやビクトル(創業者でもあるオーナーシェフ)という存在は、前田さんの中でも大きな存在だと思います。ビクトルから学んだ大切なことは何でしょうか?

一番は、「ごまかさないこと」ですね。「本当はこうしたいけど…」と思いながらも妥協してしまうことって、誰しもありますよね。例えば、本当に美味しいのは生のまぐろだけど、冷凍を使うとかね。現実と折り合いをつけないといけない部分もあると思います。でもビクトルは違った。「本当にそうなら、そうする。妥協するなら、やらない」んです。ストイックなまでの愚直さを学びましたね。受賞を受け、僕の好きなワインを持ってビクトルにお礼がてら挨拶に行ったのですが、とても喜んでくれました!
使いやすいように細部にまでこだわって特注したJOSPER製の薪焼き台。
使いやすいように細部にまでこだわって特注したJOSPER製の薪焼き台。

名物のパラモス産の海老も、エチェバリとの違いが楽しい。

名物のパラモス産の海老も、エチェバリとの違いが楽しい。


──今回頂いたコースには、ここでしか食べられないオリジナリティがあると感じました。日本のアイディアと地元の食材の組み合わせが、懐かしくもあり新鮮で、不思議な感覚でした。

今回一つ星を頂けたということは、「エチェバリのコピー」ではなく、「オリジナリティがあり、それがいいレベルにある」とミシュランが認めてくれたと思っています。やはり僕はどこまでいっても日本人で、自分が育ってきた日本というベースは誰にも否定できない。そのルーツをきちんと表現できる料理をしたいと思っています。

日本人が食べると、安心する旨味がちゃんとある。でも、食材はこちらのものなので、やはりどこか違う。バスクの人が食べると、「地元の食材だから知っている味だけど、こんな風に食べたことがない」という驚きがある。それが僕がここで13年間生きてきたリアルだし、僕にしかできないことだと思っています。

料理はおまかせコース250€のみ。八寸と14皿を、4時間かけてゆっくり楽しむ。

料理はおまかせコース250€のみ。八寸と14皿を、4時間かけてゆっくり楽しむ。


鮪と米煎餅、中に焼きナスのマリネ。外国人客からも「Sushi!」と歓声が上がった一皿。

鮪と米煎餅、中に焼きナスのマリネ。外国人客からも「Sushi!」と歓声が上がった一皿。

──前田さんにとって料理とは何ですか?

僕にとっての料理は、「自分」というフィルターを通したときに、出てくる一筋の水のようなものだと思うんです。例えば「哲郎」という大きな漏斗に、その土地の要素だったりそこでの経験だったり様々な要素を詰め込んだら、何が出てくるかと考えます。洗面台いっぱいに水を張って栓を抜くと、あるところから渦を巻いて急速に流れていく瞬間ってありますよね。料理も同じで、色々な思考が、すっと料理にまとまって落ちていくポイントがあるんです。その瞬間は、すごく感じるものがありますね。

「運動会で親父が作ってくれた砂肝」はエゴだが──

──食材の構成の面白さにも驚かされました。料理のアイディアはいつどんな時生まれることが多いんですか?

スタッフの力も大きいです。レストランは「お互いが補完し合っている完全な球体」だと考えているので、一人ですべてを行うのは難しいです。だからこそ、彼らが出してくれたアイディアに、「それいいよね」と素直に反応できる柔軟性を持っていたいですね。実際に、以前コースで出していた牛タンと青唐辛子みその一皿も、仙台で牛タンを食べてきたスタッフの「やっぱり牛タンには唐辛子味噌ですよね」という一言から生まれました。

僕、知識って、一人の頭の中に蓄積する必要はないと思っているんです。今の時代スマホがあって、グーグルもAIもあって、検索すればだいたい何でも出てくる。じゃあ何を自分たちの頭の中に蓄積しておかないといけないか。やっぱり経験なんですよね。だからこそ自分の幼少期の想い出などもすごく大事にしています。とはいっても、その思い出が、「運動会で親父が作ってくれた砂肝」のように個人的すぎると、エゴになって伝わらない。だからこそ、色々な人の経験を合わせて、その中でバランスを取っていくことが必要だと思います。

冬瓜の上には、イタリアのトリュフハンター富松恒臣氏がその日直接届けた白トリュフが。

冬瓜の上には、イタリアのトリュフハンター富松恒臣氏がその日直接届けた白トリュフが。

「その他大勢でいい」から「俺はこんなもんじゃない!」へ

──スペインにきて日本人として大変だったことは?

なんだろう…僕の頭はよくできていて、楽しいことしか覚えてないんですよね(笑)。

ただ、思い起こしてみれば、「お前は日本人だから」というフレーズが一番大変でした。どこまでいっても異質で、完全なローカルにはなれない。島国の日本では個人で向かい風を受けることは少ないですが、初めて個人で人種的なヘイトの矢面に立ったことは辛かった。はじめはスペイン語もわからなかったんですが、言葉がわかるようになってきて、実は同僚たちがにこにこ楽しそうに笑いながら僕の悪口を言っていると知った時は、ショックでした…(笑)。

エチェバリで担う役割が大きくなってくると、同僚からのジェラシーも感じました。いうなれば、東京の一流の鮨屋で、外国人が鮨を握るようになったものですからね。自分の受け持つお皿が多くなっても、仕込みをすべて一人で行わなければならなかったり、挨拶しても一切返事をしてもらえない時期もあったりして、精神的にもかなり危うい時もありました。

──確かにここにいると、歩いているだけで視線を感じますし、大都市とはまた違う難しさがあると思います。辞めようとは思わなかったのでしょうか? 

ここで辞めたら負け、全てが水の泡だと思ったんです。損切ができない性格なんですね。

正直にいうと、それまでは自分の可能性にベットしていなかった。給料をもらって普通に生活できればいいし、「その他大勢」でいいと思っていたんです。ある意味、勝ち負けの土俵に上がってないから、負けている実感もなかった。

でも、エチェバリで苦しい経験もして、「俺はこんなもんじゃない!もっとできるはずだ!」と思ってしまった。認められたい、という自我が芽生えてきたんだと思います。
薪の熾火を使い、刻一刻と変化する火力の状態を見極めながら熱を入れていく。
薪の熾火を使い、刻一刻と変化する火力の状態を見極めながら熱を入れていく。

メインのビーフチョップには、260日熟成させた2005年産の経産牛を使用。

メインのビーフチョップには、260日熟成させた2005年産の経産牛を使用。

目指すのは自社農園自給率0%


──料理に使う野菜も敷地内の農園で造っていらっしゃいますが、自社農園で野菜も作っているのはどうしてですか?

現在は4000㎡の農園で、生姜、にんにく以外の野菜はほぼ全て自社農園から賄っています。自社農園をやる大きなメリットは、野菜や植物の生育ステージを知ることができること、その中で、自分が欲しい素材は“いつのどの部分なのか”を見極められることです。

市場で流通する野菜は、シーズンかつ状態が決まっています。その“売れる状態”を目指して農家は作っているわけですから。ただ僕らが必要な素材というのは、必ずしもその状態に当てはまらない。例えばネギでも、食感を愉しみたいのか、香りをつけたいのかで、ほしいパーツが変わってきます。ネギの香りを出したいなら、ネギの花を載せればいい。ただネギ坊主(ネギの花)がつくと、そのネギの市場的価値は下がってしまいます。自分で農園レストランをやれば、そこに価値を見出すことができるし、欲しい状態まで待って自由に使うことができるんです。

野菜は市場に出ている形が「完成形」ではないんです。「その植物の本当の魅力は何か」を観察して考えられることは、ものすごく大きな利点です。
合わせたワインも2005年産、地元リオハの熟成ワイン。
合わせたワインも2005年産、地元リオハの熟成ワイン。

──将来的に自給率100%を目指しているのでしょうか?

むしろ逆で、最終目標はうちの畑がなくなることです。レストランがあることで村の収益を確保できるのが一つの大きな目標なので、他に野菜を作れる村人がいるのなら、自分でやる意味がないと思っています。例えばトマトはあの農家さん、生姜はあのおじいちゃんみたいに得意な人に頼んで、「今どんな感じ?」とコミュニケーションを取りながら一緒にやっていきたいですね。そうすれば、村の皆でレストランができる。レストランは結局「家」だと思っていて、村のプレゼンテーションでもあるんです。「これがうちの思う、一番幸せで最高な状態」というのをレストランの在り方を通してプレゼンしたいうのが将来的な目標です。最低限のかじ取りは必要としても、最終的に僕がいなくても回っていく状態が良いと思っています。

植生の観察が、料理のアイディアにも繋がる。蕎麦やせり、三つ葉など日本らしい食材も。

植生の観察が、料理のアイディアにも繋がる。蕎麦やせり、三つ葉など日本らしい食材も。

一つ星だけで200軒以上──

──次に目指すのは?

今回ミシュランを獲得して、ガッツポーズの後に、がっかりしたことがあったんです。当然ですが、僕の後にも何人も名前が呼ばれて、結局新規獲得だけで約30軒、既存も合わせたら一つ星だけで200軒以上ありました。あ、こんなにいるんだ…と。「特別な存在になれるかも」と思っていたのに、ステージに上がれば、やっぱり「その他大勢の一人」なんだとがっかりしてしまいました。「俺はこんなもんじゃない!」とまたしても思ってしまったんです(笑)

ミシュランの星を取るために何かをする、というのは考えたことはないですが、やっぱり特別な存在になりたい。「世界のベストレストラン」や「OAD」にももちろん入っていきたいですが、今、明確に目指すのは二つ星ですね。ミシュランは相対評価ではなく絶対的な評価なので、僕らの品質を維持していくという意味でもありがたいです。

でも同時に、「世界で一番のレストラン」を造っていきたいし、それを議論できる土俵に立っていたい。「世界で一番のレストラン」というのは難しいですが、評価されることと、自分達が確信と自信をもってお客様をおもてなしすることははまた違うベクトルだと思います。世界で最高のもの、時間を造り出している自覚と責任は必要だと思っています。

例えば、お客さんに近づく時には左足の方がいいのか? など細かい部分まで妥協することなくストイックでいたいと思うし、料理だけでなく、シェフとしてレストラン全体を見る視点を持っていきたいですね。



──例えば海外を目指す若い料理人に、どんな言葉を送りたいですか?

まず何より、海外に出るという手段が目的にならないようにしてほしいですね。とりあえず自分を変えるためにまず行動してみるのは大事ですが、人生って短いです。

海外に行って帰ってきた、だけではただの修学旅行になってしまうし、海外に行ってそこで何をしたかが大事だと思います。なので、僕のところで働きたいという若い子たちにも、「何がしたくて来たのか?」を必ず聞くようにしています。うちを踏み台にして頑張ってくれる、ガッツのある人が出てきてほしいですね。




水上彩(みずかみ・あや)◎ワイン愛が高じて通信業界からワイン業界に転身。『日本ワイン紀行』ライターとして日本全国のワイナリーを取材するなど、ワイン専門誌や諸メディア等へ執筆。WOSA Japan(南アフリカワイン協会)のメディアマーケティング担当として、南アフリカワインのPRにも力を注ぐ。J.S.A認定ワインエキスパート。ワインの国際資格WSET最上位のLevel 4 Diploma取得。

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