徐々にマリーへの愛が滲む
何も知らない能天気なジャックが帰宅し、一悶着あってからの展開も興味深い。ニースにいるジャックの母親にマリーを預けようとするも彼女はこれから長期の旅行ということで断られ、困ったジャックが呼んだ乳母はピエールと育児論争したあげく帰ってしまう。これまで子育てを担うとされた母、祖母、乳母のいずれも、現場からさっさと退場してしまうのだ。残るのは、疲労困憊し手をこまねく男たちばかり。
こうした構図は、女性の社会進出が進んだと言われる1980年代の世相を反映しつつ、育児参加の遅れていた男性の立場を笑いに包んでクローズアップしていると言えるだろう。だがここまでの経緯で乳幼児の扱いに幾分は慣れたピエールとミシェルの態度には、徐々にマリーへの愛が滲んでくる。
ミシェル役を演じたミシェル・ブシュナー(1986年) / Getty Images
3人がベビーベッドを覗き込みながら、優しく子守唄をハモる場面があるかと思えば、育児の分担で揉めて大喧嘩をしたり。久々に友人たちを招いてのパーティでも、マリーの泣き声が聞こえると気もそぞろになるシーンで、3人にはすでに父親のメンタリティが備わっていることが見てとれる。
「例外」扱いされるのが赤ちゃん
ところで何より興味深いのは、すべての騒動の主役である赤ちゃん、マリーの存在感だ。そもそも赤ちゃんはドラマにおいて、微妙に視聴者の緊張感をそそる存在である。他の大人の俳優や幼少でもある程度ものの判った子役と違い、乳幼児は演技ができない。素のままでそこにいるしかない。泣きたくなったら泣くし、眠くなったら寝てしまう。しつけられた動物の方が、まだ言うことを聞くかもしれない。
従って視聴者も、赤ちゃんがそのシーンを邪魔しないでいてくれるだけで、なんだか安心してしまう。親役の俳優におとなしく抱っこされ、ニコッとしてほしいところで微笑んでくれたりすると、もうそれだけで感心する。
左からピエール役を演じたローラン・ジロー、ミシェル役を演じたミシェル・ブシュナー、ジャック役を演じたアンドレ・デュソリエ(1986年)/ Getty Images