映画

2023.11.18 11:30

独身でも子育てはできる? 男三人の育児奮闘記│映画「赤ちゃんに乾杯!」

もちろん現場では赤ちゃん俳優の状態に合わせて芝居を組み立てたり、シーンの別撮りでうまく編集したりしているのだろう。そのくらい赤ちゃんという存在はデリケートだ。

そもそもドラマでなくても現実のさまざまなシーンで、その場にいるすべての大人が赤ちゃんを第一に尊重するのは鉄則である。赤ちゃんがいるというだけで、状況は赤ちゃん中心にならざるを得ない。無防備な赤ちゃんは誰よりも気を使われ、守られねばならない存在だ。

赤ちゃんをめぐるこの現実のルールが、ドラマの内容とぴったり合っているところが面白い。マフィアのバイクの荷台に括り付けられたり奪還されたり、麻薬を見つけたいマフィアや警察に家中を引っくり返される中で「例外」扱いされたり、ニースに連れて行かれてまた戻ってきたり、どんなことが起こってもマリーは無傷だ。

お腹がすけば泣き、時間になればミルクを与えられ、おしめを交換され、寝て起きてお風呂に入れてもらい、遊んでもらって、すくすくと育っていく。常に騒動の最中にいながら、バタバタしているのは周囲だけで、マリーはいたって平常。

つまりこのドラマの出来事はすべて、マリーという赤ちゃんの絶対不動の特異点を中心として動いている。その特異点の無垢と無邪気と無傷を守り切るために、男たちは嘆いたり怒ったり笑ったり体を張ったり仕事のやり方を変えたり人生を考え直したりという大騒ぎを展開していくのだ。

「何のために生きてる?」

シルビアにマリーを返し赤ん坊の世話から解放されて、一時ははしゃいで自由を満喫するものの、3人はやがてなんとも言えない虚しさに囚われる。「男は何も生み出せない。種をつけるだけ」というジャックの呟きは、あたかも父親であることの敗北宣言のようだ。

ジャック役を演じたアンドレ・デュソリエ(1986)/ Getty Images

しかし、ふと漏れてくる「何のために生きてる?」という自問自答は、親という立場を離れても、ある普遍的な響きをもっているのではないだろうか。

自分のためだけに稼ぎ、自分の楽しみだけに生きてきた”自分第一”の男たちが知った、自分をちょっと棚上げして誰かのために生きること。笑顔で再度マリーを迎えた3人が、たまたま3人とも上半身裸だったのは、誰かのために生きる喜びを心から素直に受け入れたことを示している。

連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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文=大野左紀子

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