「15年12月に気候変動対策のパリ協定が採択された翌日のことは今でも忘れません。どの新聞も見出しには『低炭素時代』と書かれていた。今ならわかりますが、そのときに掲げるべきは脱炭素でした。世の中の動きをうまく読めなかった結果、今になって日本企業の多くは世界のサプライチェーンから除外されないよう対策に慌てています。今回のCOP15で、生物多様性の回復に世界が合意したことは、それだけ意味が大きいのです。率先して取り組んでいく必要がある」。
すでに欧米では積極的な動きが出始めている。例えば、EUは20年に「2030年生物多様性戦略」を策定。22年6月には、EU域内全体で化学農薬の使用量を30年までに50%削減する規則案も発表した。シティグループ ESG調査部門欧州地域責任者のアニータ・マクベインは、「欧州の投資家や運用会社は生物多様性への関心が高い。上場企業向けの規制のなかでも重要なトピックとして扱われており、それが非常に強い推進力となっている」と話す。「企業では、生物多様性リスクのインパクトや依存性などを専門で扱うチーフエコロジストという役割も出てきた。これは日本でも参考にできるのではないか」。
テクノロジーの交差点
重要なポイントは、自然資本の情報開示やサプライチェーンの見直しなど、既存のビジネスを転換させることだけでなく、ネイチャーポジティブに関する新たなビジネス機会が創出されるということだ。WEFでは、ネイチャーポジティブに関連して30年に10兆ドルの市場機会と数百万人の新規雇用が創出されると試算している。しかも、内訳を見ると、その範囲は持続可能な森林管理から生態系の回復、インフラ・街のコンパクト化、再生可能エネルギーへの移行、資源の効率化/再利用など、実に多岐にわたる。PwCコンサルティングでネイチャーポジティブ専任チームのシニアマネージャーを務める服部徹は、「実は、生物多様性はビジネス・インキュベーションのテーマなんです。脱炭素と同じように、ネイチャーポジティブ経済という新しい市場ができてくる。ここで大事なのが、AIやロボティクス、バイオなど、あらゆるテクノロジーが関連してくるということ。その意味では、『テクノロジーの交差点』となる領域といえるでしょう」と話す。
上場企業の多くは、生物多様性をサステナビリティ部門やIR部門が扱っているが、新規事業部門の対象になりうるということだ。また、スタートアップ企業にとっても、テクノロジーの新たな応用先となる。農林水産業やインフラ・建設業などでは、オープンイノベーションの機運も高まってくるだろう。「生物多様性を環境保全のテーマととらえてしまうと、重要なビジネス機会を逃してしまう」と服部は強調する。