なぜ、今、カルチャープレナーなのか?歴史の周期が生み出す日本文化の世界展開

今、日本でもカルチャープレナーたちが登場し始めている。そこにはイギリスの製造業の衰退とは異なる事情がある。あるアーティストは「三角形の衰退」と表現した。三角形とは、演者(アーティスト)、キュレーター、ファンの3つからなる(KEYWORD2参照)。日本には目の肥えたキュレーターとファンが存在するが、高齢化が進み、次世代に広がらず演者の衰退に繋がっているという。

KEYWORD2|文化事業の三角形
アーティスト(演者)を支えるキュレーターは、興行主、プロデューサー、評論家、メディア、経済的支援者などの目利きで、演者の活動を拡張する。外国人や異業種など異なる視点が参入すると、価値は拡大。3辺は好循環を見せて社会に影響を与える。逆に参入を拒むと、マンネリ化や衰退を招く。

しかし、デジタルを使ったファンの育成と、アーティストに市場参加の機会をつくるCasieなど三角形を仕組み化して市場をつくる起業家が登場。伝統文化と産業を結合させるTeaRoomや、地域産業の製品の「形」を変えて新市場を創る Mizenなど三角形の形が進化している。また、伝統の本質を見極めることが進化に繋がると、北野武監督が語っているので、こちらも参考になる。そして実は日本は過去にもカルチャープレナーが登場し、「クール・ブリタニア」以上の成功を歴史に残している。

日本ブームを世界に広めた男

明治3年、政府は新しい言葉をつくった。「工芸」だ。この言葉はそれまで存在しなかったが、危機的な背景があった。江戸時代、各藩の大名や寺社には、職人たちが刀剣類、陶磁器、蒔絵、織物、鋳物、家具調度品などを納めていた。しかし、廃藩置県で職人は大口の購買層を一気に失った。特に京都市域は遷都によって人口が4年間で33万人から24万人まで激減。公家などの購買層を失い、職人は糊口をしのげなくなったのだ。ところが面白いもので、市場を拡大する逆転劇が起こる。明治6年、ウィーン万国博覧会で日本政府が総力をあげて出品した「工芸品」で、欧州は日本ブームに沸くのだ。万博会場に日本庭園がつくられ、提灯、七宝焼、絹織物、鼈甲、漆器が展示された。特に「用途」と「美」の融合である扇子は売れに売れて、女性客が「日本は野蛮な国なりと聞いていたが、真を知れり」と言った記録が残っている。

こうした人気を背景に登場したのが、松尾儀助という佐賀県の嬉野茶の輸出業者だ。松尾は同郷の佐野常民(のちの元老院議長)からの指示と大隈重信の支援を受けて、「起立工商会社」なる貿易会社を設立。ニューヨークとパリに支店を開設した。

KEYWORD3|ウィーン万博
明治政府が総力を上げ、日本の工芸が世界的に知られる機会となった。会場内に作られた日本庭園は大人気で、英国のアレクサンダー・バーク商会が「日本庭園を一式買いたい」と申し出た。政府は民間人同士の契約にさせた方がいいとして、松尾儀助に任せた。これが「起立工商会社」設立の発端である。
 
KEYWORD4|起立工商会社
1874年に設立。社名は「奮起する」をいみし日本人としてニューヨークに最初に支店を開設した。17年間の活動を経て1891年に解散。松尾儀助の子孫である田川永吉著『政商 松尾儀助伝』(文芸社)が松尾の唯一といえる貴重な記録となっており、本稿の起立工商会社に関する記載は同書を参考にした。

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文=藤吉雅春

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年11月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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