宇宙の町としてのスタート地点と現在地点
宇宙の町として実績が出始めている大樹町だが、元々は農業・漁業を営んできた。大樹町は十勝南部に位置し、広大な土地と自然に恵まれた地域。大樹町生まれの黒川さんが、宇宙を軸としたまちづくりの始まりを語ってくれた。
「私が子どもの頃には大樹町から宇宙に、というような話は全くなかったです。私が町役場に入ってからも、日本の宇宙開発はあまり進んでいませんでした」(黒川さん)
そんなとき、1984年に北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)が、北海道大規模航空宇宙産業基地構想を発表。これをきっかけとして大樹町に「大樹スペース研究会」が設立され、宇宙の町としての歩みをスタートさせた。
「当時から、将来的にはロケットの発射だけでなく、スペースシャトルが大樹町に戻ってくるような宇宙開発もしたいと考えていたようです。そのためには、太平洋側の海に開けている広い土地の確保が必要でした。なぜ太平洋側で探していたかというと、ロケットの打ち上げは地球の自転の影響を受けるので、軌道に乗せる場合、多くは東に向かって打つからです」(黒川さん)
まさにロケットの射場としての条件が揃っていたのが、自然豊かでのどかな大樹町だったという。
「日本には海岸線がたくさんありますが、工業地帯や国道ができていますので、広くて開けた土地というのはなかなかありません。大樹町の周辺には海岸線に広いスペースがあったので、そこから宇宙基地の話が出ました。当時は『この田舎で宇宙(笑)?』と言われていましたが、宇宙関係の研究者の方々は『大樹町がいい』と言ってくれる方が多かったです」(黒川さん)
さらに1992年には、毛利衛さんがスペースシャトル「エンデバー号」に搭乗。日本でも宇宙開発の熱が高まった。宇宙事業の誘致を地道に継続していた大樹町でも、研究所や大学などの実験が行われるように。2008年には、大樹町とJAXAが連携協力協定を締結。そうして2011年、堀江貴文氏らが小型液体燃料ロケットの打ち上げ実験を大樹町で開始した。
「堀江さんから『大樹町でロケットを打ち上げたい』と聞いたときは、大学などの研究機関ではなく民間企業ということで、エンターテイメントというかイベント的な実験なのかとも思いました。ですが『真面目にロケットの開発をしたいんだ』とお話しをいただいたんです。そこで当時の大樹町長が『やらしてみればいいべ』と判断し、堀江さんたちのロケット打ち上げ実験が始まりました」(黒川さん)
実験はその後、ISTのロケット打ち上げ事業へと続いていき、MOMOの打ち上げ成功へとつながっていった。
研究機関から民間企業まで幅広く受け入れてきた大樹町。現在は、アジア初のスペースポート宇宙港「北海道スペースポート」にも注力。世界中の民間企業・大学研究機関等が自由に使え、シェアできる宇宙港を目指している。