であれば、もうこれは、「やるか、やらないか」である。そして、瞑想ほど、実践までに手間のかからないものはない。座布団ひとつで十分だ。
そして、僕もこのマインドフルネスに類する瞑想を1日1時間半ほどやっている。僕がおこなっているのは「ヴィパッサナー瞑想法」というもので、これは原始仏教の瞑想法である。つまり、当然こちらが本家本元なのだ。
ヴィパッサナー瞑想法とマインドフルネスの関係を簡潔に述べれば、ヴィパッサナー瞑想法から仏教色や宗教色をそぎ落とし、心を整えるテクニックに純化したのがマインドフルネスだ。
ヴィパッサナー瞑想法は、「ホモ・デウス」や「サピエンス全史」などのベストセラーで有名なイスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリが、自身も実践していることを著書で書いて有名になった。僕が始めたきっかけもハラリの著作に接してからである。
実践してみた「歩きの瞑想」
実際に、やってみると集中力は増し、心が落ち着く。さらに、頭の回転が良くなるという報告も多数上がっている。僕もそうだと言いたいところだが、自分が書いたものでその効果の程度が怪しまれると、ヴィパッサナー瞑想法に迷惑かかる可能性があるのでそこまでは言わないでおく。では、このヴィパッサナー瞑想法はどのような瞑想システムなのかについて少し紹介しよう。瞑想という言葉で、たとえば蝋燭の揺れる炎を凝視しながら心を集中させるような瞑想法を思い浮かべる人も多いかもしれない。このような、1つの事象に注意を集中する瞑想法は「サマタ瞑想」と呼ばれる。
一方、マインドフルネスとは、心を大きく開いて、集中することが特徴だ。その原点となっているヴィパッサナー瞑想法の「ヴィパッサナー」とは「特別によく注意して観る」という意味で、自分の身体の感覚を観察し、気づき、この気づきを言葉で確認する。この言葉での確認を「サティ(を入れる)」という。
サマタ瞑想との違いは、1つの事物に注意をとどめないで心が集中している状態を、サティを入れることでキープすることだ。
僕の指導者であるグリーンヒル瞑想研究所の地橋秀雄氏は、この集中とサティの感覚を習得するのには、まずは「歩きの瞑想」から始めることを推奨している。僕が瞑想時間の大半を裂いているのもこちらで、これは読んで字の如く、歩きながらの瞑想である。