ですが、アートフェスティバルをやろうと思っても、そんなに簡単にできるものではないですよね?
仲西:まず、震災で仕事が全部飛んでしまって、どうやって生きていくのかという状況になったんです。写真家のルシールとは震災前に友人を介して知り合っていました。彼女からフランスの古本屋で見つけた日本の怪談や妖怪の話を写真作品として表現したいと相談されたのです。その時、僕もたまたま小泉八雲の怪談を読んでいたので、やろうと進めようとしたら、東日本大震災が起きました。
怪談というのは人間が自然に対するリスペクトを失った時にくるしっぺ返しのお話がほとんどだったので、これは何かのメッセージだと感じて。それで作品に仕上げてパリで展示しました。2011年の6月だったと思います。
ちょうどその時、南フランスのアルルで、世界で最も古くて大きな国際写真祭が開催されたのでオープニングに行ってみたんです。世界中から写真関係者やアート関係者やメディアが集まって情報交換していたのですが、日本人はほとんどいませんでした。震災直後ということもあったかもしれません。僕もいろいろな人から日本の写真家やアーティストについて聞かれました。
海外の人たちはこんなに日本の情報を欲しがっているのかと思い、帰国していろいろな人に写真祭をした方がいいと言ってみたんです。だけど、フェスティバルは儲からないので、なかなかやる人がいない。でも必要なのだから、ルシールとやってしまおうと。震災で東京一極集中はダメだと感じたので、東京以外の場所でやろうと考えました。
中道:それで京都で立ち上げられた。京都は外の人間にあまり門戸を開かないという話をよく聞きますけど、実際どうでしたか?
仲西:京都の人はダイレクトに「ノー」と言わないので最初は受け入れられていると思っていたんですけど、全然そうじゃなくて。京都には独自のルールがありますが、それも教えてもらえない。自分で気づいて理解していくしかない。だんだんわかってきたのは、京都の人たちは長い歴史の中で代々受け継いできたものを守っていくために本当に良いものしか受け入れないということです。
だけどここ数年、特に東京オリンピックあたりから、古き良きものがすごいスピードで失われています。特に最近は観光客の要望に応えることばかり考えている。自分たちの文化を守っていくことがツーリストを満足させるわけで、ツーリストを満足させるために何かをやるのは本末転倒だと思うんですよね。