「人種のボーダーレス」というキーワード、「容姿で人種をわからなくする」というコンセプトを聞けば、彼女に尖った第一印象を受ける人が少なくないだろう。しかし、カメラの前に立つ彼女からは、ただ純粋に自分自身の生き方に強くコミットしている人の潔いエネルギーが溢れている。
「マイノリティの問題を遠くから論じるだけでなく、近くにいる友達や自分自身の痛みを知ることがはるかに大事。恐れずに自分の身体を投じて表現していきたい」
実体験に基づく彼女の言葉は、社会派というよりヒューマニストのそれに近い。
東京育ちのバングラデシュ人は「何人」なのか
シャラ ラジマは両親のルーツであるバングラデシュで幼少期を過ごした。現地では英語とベンガル語を使っていたが、10歳のときに来日し、東京北区の小学校に通うことになる。「日本の小学校では英語が通じないし、日本語も話せない状態だった。でも3カ月ほど経ったある日、突然スイッチが入ったみたいに理解できるようになって。そこから1、2カ月で一気に話せるようになった。でも、今でも書き順はめちゃくちゃ」とテンポ良く話す。
日本語が話せるようになっても、見た目は変えることができない。白人や黒人というわかりやすい外国人ではない。しかし、褐色の肌を持ち、周囲の人とは違う顔立ちから、アジア人の仲間にも入りづらい。そんな自分に対して「社会の中での異物感を感じていた」と当時を振り返る。
複雑な環境の中、母親には厳しく育てられた。「もし、シャラが何か問題をおこせば、個人の問題ではなく世間からは『外国人だから』と一括りにされてしまう。だから、行動には気をつけるように」とよく言われていたという。
「でも、どんなにお利口さんでいても、結局はみんなと同じにはなれない。私が世間に合わせようとしないのは、どうやっても“一緒になれない”という子ども時代から今に続く体験が影響しています」