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2023.08.21 08:30

Visional南壮一郎 「早く成功することに、何か意味はあるのか」

28歳、新卒


「たまたま『プロ野球』がきっかけで入社しましたが、当時の楽天は、新世代を代表する急成長スタートアップでした。その情熱と変化あふれる環境で20代後半に、ゼロからビジネスパーソンとしてきっちり教育してもらったことに感謝の気持ちでいっぱいです。今の自分があるのは、間違いなく楽天と三木谷さんとの出会いのおかげです」
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南が入社したのは2004年。楽天イーグルスを含む、楽天グループは創業8年目を迎え、グループ全体で1200名ほどの組織になっていた。

「当時の楽天は、立ち上がったばかりのスタートアップではなく、事業や組織としての体をなし、ミッションとビジョンを中心とした強い社内文化があった。そして、経営の強い意志により、社員をしっかりと教育する仕組みがありました。同時に、楽天イーグルスの経営陣には、起業やビジネス経験豊富な魅力的に映る先輩たちが大勢いました。叱咤激励のみならず、社会人としてのあるべき姿を丁寧に教えてくださった。本当に恵まれた環境でしたね」

球団創業期には、インテリジェンス創業者島田亨、現・ヤフージャパン代表取締役社長・小澤隆生など、各領域のフロントランナーも集っていた。南はその環境下で「最高の仲間と、歴史を創ろう」という合言葉のもと、28歳から31歳までの間、仲間と全力で仕事に邁進した。時折、三木谷の出張や会議にも同席し、多くを学んだという。
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なかでも、後の南に影響を与えたのは「事業とは、社会にインパクトを与えるために創るものである」という三木谷の事業観だった。

「楽天には『仮説、実行、検証、仕組化』という行動指針がありますが、社会における課題をみつけ、誰でも運営できる仕組みを創ることで、社会にインパクトを与え続けられる。そのような仕組みこそが、社会における新しいムーブメントの源であり、社会を未来へ進化させていくと、当時、三木谷さんは何度もおっしゃっていた。そこに、僕自身はすごく感化されました」

仕組みとなった事業が、ムーブメントを起こし、社会の課題を解決する──南はその様を、自身が先輩や多くの仲間たちとともに礎を築いた「楽天イーグルス」という事業で、体感することになった。

東日本大震災の翌々年、2013年。球団初のリーグ制覇。日本シリーズでの巨人との第7戦。前日9回160球を投げ、敗戦投手となった田中将大が9回に登板。見事にセーブを挙げ、球団史上初の日本一に輝いた。

「あの日本一は、東北の皆さんに元気や勇気をもたらしただけではなく、結果的には、日本中の皆さんがひとつになるきっかけとなったと思います。僕の携帯電話には、勝った瞬間からそれまで球団創立の際にお世話になった東北中の方々や、プロ野球界関係者の皆さんから、何十通ものメッセージが届いて。事業というのは、こういう瞬間のためにあるんだな、と思いましたね」

毎年、イーグルスの試合観戦に必ず仙台を訪れる南は、その度にその原点を思い出すという。

「僕が初めて仙台に降り立ったのは、楽天のプロ野球界への新規参入が決定した直後の2004年11月でした。その日は雨が降っていたこともあって、街全体が灰色に映ったんです。その街が、毎年、毎年、シーズンを重ねる度に、イーグルスのチームカラーであるクリムゾンレッドにどんどん染まっていく。その様を見ると『自分たちは、こういう街の歴史や生活を支える仕事をやらしていただいたんだな』という気持ちになります。事業で、社会にインパクト与えられる、時代に新しいムーブメントを興すということを、仙台に戻る度に感じさせられますね」
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Forbes JAPAN編集部=文 小田駿一=写真

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