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2023.08.17 08:00

日本人にとっての「私有財産」のはじまり

民俗学者・宮本常一の『家郷の訓おしえ』(1943年)には、家の老婆たちが苧績みでヘソクリを獲得しからていくありさまが描かれている。苧麻の繊維を細く裂いてオゴケに入れ、糸車で紡ぐ。手間暇かかる苧績みは、それに見合うくらい十分な収入があった。オゴケは女の「ヘソクリ」「ワタクシ」であり、かつては嫁入り道具のひとつとして重要なものだった。家内でオゴケをしっかりもっていると、孫たちが祖母のまわりに集まってくる。オゴケの中には飴玉や氷砂糖をしのばせていたからである。

宮本常一の祖母も娘のころに麻を績む技術を習得し、そのころからヘソクリをもっていた。彼女のような女性たちは主婦権を嫁に譲ったあと、祖母となってたっぷりと「ワタクシ」を蓄えている。このワタクシ=ヘソクリは、自分が使うよりは嫁に行った自分の娘や娘の子のために使った。祖母のヘソクリがたっぷり蓄えになって残るということは少なかったのである。「ヘソクリはためて自らの生活を安楽にするものではなく、施して子供の生活を豊かにさせようとするものであった」(『家郷の訓』)

財布のひもを妻が握っている家庭では、「ヘソクリ」はもっぱら、夫が小遣いを細々とためていくものになっている。しかし、「ヘソクリ」はここまで見てきたように、日本の民俗のなかで育まれてきた女性の「ワタクシ」に起源をもつものだった。そして言い換えれば「公」に対する「私」の領域の発生を画する歴史をもち、他人が決してさわってはいけない、霊的な「私有財産」を意味するものだったのである。

*参考文献:宮田登「伝統社会の公と私」1998年


畑中章宏◎民俗学者。1962年、大阪府生まれ。災害伝承、民間信仰から流行現象まで幅広いテーマに取り組む。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)、『廃仏毀釈』(筑摩書房)ほか多数。最新刊は『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(講談社)

文=畑中 章宏

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年8月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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