3億円の呪縛を超え、見出した「新たな幸せ」

生涯賃金3億円を稼ぐサラリーマンになれない恐怖から自由になった起業体験。金銭に価値を置かない幸せのあり方を模索し続け、長期視点で次世代産業を創造する。


「自分は生涯賃金3億円を稼ぐサラリーマンになれず不幸になる」
 
諸藤周平は、幼少期から起業するまで、この恐怖に突き動かされてきたと話す。東証プライム上場企業であるエス・エム・エスの創設者であり、「世代をまたぐ社会課題を解決する産業の創造に向けた学習支援」を行うREAPRAグループのCEO。現在からは想像できない姿だ。

「小学校中学年のころ、学校のテストで圧倒的に“頭が悪い”ことが顕在化してきました」
 
1977年、福岡の比較的恵まれたサラリーマンの家庭に生まれた諸藤。兄と弟は頭が良かったが、諸藤は小6でカタカナもおぼつかなかった。一定の学歴をもって安定した大企業に行けば幸せになれる、と高度経済成長期を背景とする両親の価値観が刷り込まれていた諸藤は、「自分はその幸せになるチケットがない」とパニックになったという。その不安におびえながら、中学、高校と教育学部出身の父親のサポートを受け、なんとか九州大学に合格する。
 
ところが、バブルがはじけて大企業が倒産するのを目の当たりにする。「いい大学に入れば3億円のチケットが手に入る」と思っていた諸藤だがサラリーマンになっても恐怖は消えないと感じた。そんな時、身近な親戚で経営者の存在を知る。学歴がなくても事業を継いで大きくし、サラリーマンよりも稼いでいる。

「自分は反復して成果を出すことができない。勉強ができない。でも、世の中はもっと圧倒的に複雑で、必ずしも学力が高い人がその複雑性をうまく処理できるわけじゃないと気づいたんです」
 
常に「未来で安定的な生活を享受できない」という恐怖が駆動力だった諸藤は、時間感覚に鋭敏になった。「起業して35歳までに3億円が稼げればいい」。諸藤は自分のゴールを決めた。
 
大学卒業後、修業のためいったんはサラリーマンになったものの、25歳でエス・エム・エスを立ち上げた。当初、事業は難航したが、ここで諸藤に大きな転機が訪れる。

「当時、介護業界は介護保険から派生した急ごしらえのマーケットで、もうぐちゃぐちゃ。サラリーマンが働く成熟した市場とは異なり、未成熟な人たちでもどんどんスケールが上がっていった。マーケットのことを学ぶのが、楽しくてたまらなかったんです。あれほど勉強が嫌いだったのに」

その学びを通して諸藤は、小学校3年生以来の「幸せ」を感じたという。

「手応えが感じられました。不安をかき消すための『ヤケクソの起業』でしたが、想定外にも、始めてみたら最初から楽しかった。会社が成長するにつれて、これならサラリーマンに戻っても自分は大丈夫だという自信がついた。経済的に満たされたら、将来が保証されていない不安もなくなりました。自分も『幸せ』になれるものがあるんだと実感できたんです」

諸藤は、世の中にフェアネスを感じ、株式会社で自分を取り戻した、と語る。「介護職のマッチングサービスを立ち上げ、土日も関係なく働き、1年もしないうちに会社の時価総額が3億円に達していた。この時、諸藤は25歳。35歳で3億円の目標を早々にクリアしてしまったのだ。
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文=橋本史郎、フォーブス ジャパン編集部 写真=小田駿一

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