“成長率”という名のもと、配車アプリ「Uber(ウーバー)」「Lyft(リフト)」「DiDi(滴滴出行)」のシェアをめぐる競争は各国で苛烈を極めた。そんななか、あえて競争から距離を置くことで“成長”してきた会社がある。人員整理をすることなく、コロナ禍を社員全員で乗り切ることを可能にした経営とは。
2015年に21歳だったマーカス・ヴィリグは目の前に置かれた銃がきっかけで、自分が間違ったビジネスをしていることに気づいたという。その2年前に兄と配車サービス「Bolt(ボルト)」を立ち上げた彼は、セルビアの首都ベオグラードのタクシー会社の社長に、自社のアプリを売り込んでいたが、デスクの上にさりげなく置かれた回転式拳銃を見て、危険な相手だと感じたのだ。
「この人たちと仕事をするのは、いいことではないと思ったのです」と、ヴィリグ(29)は当時を振り返る。それを機に彼は、伝統的なタクシー会社と取引するのではなく、ドライバーと直接契約することを決意した。そのため、エストニアを拠点とする小さなスタートアップだったボルトは、当時の評価額が170億ドルだった世界的大手のウーバーと直接競合することになった。それは恐ろしいことだったが、銃口を向けられるよりはマシに思えた。
彼らは、まずコストを極限まで抑えてウーバーと直接対決することを避け、ポーランドのような競争が少ない国に進出していった。その結果、15年に73万ドルだった売り上げは、19年には1億4200万ドルに急拡大し、ほぼ採算ラインを達成できた。一方でウーバーは、19年に上場するまでの間に198億ドルの資金を使い果たした。今では300万人以上のドライバーを抱え、45カ国で事業を展開するボルトの売り上げは21年に5億7000万ドルを記録した。22年1月に同社の評価額は84億ドルに達し、会社の17%を所有するヴィリグの保有資産をフォーブスは7億ドルと試算している。
彼らは、求人広告に頼らずSNSでドライバーを募集し、エストニアの首都タリンにある安いアパートをオフィスにし、米サンフランシスコの数分の1のコストで地元のプログラマーを雇うことで、コスト削減に努めた。ボルトの取り分は乗車料金の15%で、それで生き残ることを学んだ。