国内

2023.07.11 08:00

100億超調達も経営破綻 元CEOが語る、失敗の最大要因と再起

阪根信一(撮影=小田駿一)

高野:SaaS企業やDXを支援するようなスタートアップであれば、経営が厳しくなったときに人員を整理してコストを下げ、バーンレートを小さくするという風に、生き残る方法はあると思います。
 
ただ、全自動衣類折りたたみ機の開発・販売というのは、そもそもある程度の資金を必要とするビジネスモデル。お金が入ってこなくなるというリスクがあるわけで、自分で続けようと思っても続けられなかったという状況もあったのではと思います。マネジメントの問題もある一方で、ビジネスの構造的な難しさも大きかったのではないでしょうか。
 
阪根:最後、ランドロイドを発売できさえすれば上手くいくと信じて、資金をかき集めました。しかし、役員からも段々と、これ以上粘るべきではないという意見も出始めて……。それでも数カ月粘ったのですが、翌月の社員の給料がこれでは払えないという状況に陥りました。そこが、破産の申し立てをすることを決めた瞬間です。
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裁判所への申し立てを経て、会社の資産を売却する手続きを行いますが、私たちの場合は少し特殊で、経営陣に加えて全社員が残って破産処理を行うというのが1カ月ほど続きました。その後2週間ほど、私一人で管財人の方と処理を進めました。実は、その処理の区切りがつくまで、株主へ挨拶に行くことを許されなかったんです。
 
私からすると、いちばんお世話になった従業員、株主に、まず謝罪に行きたかったのですが、株主ではなく債権者だけを見て処理を進めてくれと管財人の方から言われました。残った資産をきっちり売却するために準備するというのが仕事だったのですが、それがひと段落したときに、明日から株主を回っていいですと許可が下りました。

株主回りの許可が降りた途端、3週間の高熱

藤吉:経営破綻して以降、阪根さんの精神状態はどういうものだったのでしょうか。
 
阪根:破綻に至るまでの約2年間は一切風邪もひかず、最後の1年間は休みなく週120時間働いていました。幹部のなかでも唯一私だけが最後まで立っていられたのですが、不思議なもので、管財人の方から株主へ挨拶へ行ってもいいという許可が出た途端、翌日から高熱が3週間続きました。そこで初めて、自分の体が心も体もボロボロだったことに気づきました。
 
それから3カ月かけて、海外も含むすべての株主に、お詫びに回りました。当然、失敗に対してボコボコに言われるものと思って伺うのですが、半数以上の株主は、一言も苦言を呈しませんでした。
 
「今回の結果は残念だけど、一つだけ約束してほしい。必ずもう一回チャレンジして」と。小さい挑戦ではなく大きい挑戦をもう一回やってほしい、 そう言っていただき、涙が止まりませんでしたね。
 
ただ、株主の方から言われてもう1回、自分の心に火をつけようとするものの、なかなかつかないような状況がさらに数カ月は続いたと記憶しています。体が健康でないと心は絶対についてこないので、健康状態を保つことは重要です。
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文=加藤智朗 写真=小田駿一

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