会社の後輩の小池くんと、業務に関連するマーケティング関連のセミナーイベントを聴講しに行った。そのセミナーでは私たちの会社の同僚であり、小池くんの同期にあたる人物も登壇していた。小池くんはセミナー中、何度もため息をつき、ロクに話が頭に入っていないように見えた。
内容はビッグデータとテクノロジーを活用した様々な企業の新しい取り組みについてであり、専門的なトピックも多く、小池くんはセミナー内容を咀嚼できていただろうかと思い、休憩時間に感想を尋ねた。彼は「登壇していた同期が妬ましい」と言った。「登壇していた彼が自己紹介で"僕は幼少の頃からテレビの裏側を覗いたり、椅子を下から眺めたり、人と違う視点でものを見る癖がありました"と言っていましたよね。僕も今日からそうします」と小池くんは続けた。
私はこの手の「天才の幼少期の奇人的な逸話」、言うなれば“ジーニアスエピソード(天童エピソード)”が好きだ。
語弊を恐れずに申し上げると、エピソードへの憧れや尊敬、あるいはそのエピソードの行動を真似ようという気持ちは全くない。「頭が良い」や「変わっている」という言葉を直接的に使わずに、いかにエピソードから奇人性を醸し出すか、という表現のバリエーションが好きだ。
しかし、そもそも幼少期は誰しもがひとつやふたつと言わず、無意識に奇行をした思い出があるのではないだろうか。もしかしたら、その当時にその振る舞いを注意されたり笑われたりしたことでその行動を直し、いつしか忘れてしまっただけかもしれない。私は「小池くんだって小さい頃はいろんなものを嚙んだり壁に落書きしたりしていたと言っていたじゃないか」と言ったが、「そういうありふれたものではないエピソードが欲しいんです」と小池くんは答えた。「それなら小池くんの思い出の中から珠玉のエピソードを発掘するためにジーニアスエピソード理論を用いるとよい」と私は言った。