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2023.06.23 19:00

グローバル資本主義の現代日本を映す21世紀の伝奇小説「サイケデリック・マウンテン」

弓削に見込まれ、捜査に手を貸すことになった井澗は、事件の背後にマインドコントロールの気配を感じ、犯人の三宅は洗脳解除のスペシャリスト山咲岳志(やまさき・たけし)に託されることになった。

山咲が使用人の板倉と営む和歌山県山中の診療所は、鳴りを潜める一真行の教団施設に近く、なぜかそばには富裕層向けの老人ホームも開設されていた。さらにその一帯は、奇遇にも井澗紗理奈が幼い頃を過ごした場所でもあり、実はすべての悲劇の端緒となった因縁の土地でもあったのだ。

21世紀の伝奇文学が映す幻視の風景

3つの章からなる本作だが、読者が意表を突かれるのは、物語が意想外の展開を遂げる中盤の第2章だろう。大胆な場面の転換が図られ、殺人事件の捜査からしばし離れた物語は、時間を過去へと遡っていく。事件の鍵を握る人物の歩いてきた道が、詳らかにされていくのだ。

不良少年だった彼は、さまざまな苦難を乗り越え、やがて世界の表舞台へと行き着くが、その過程で心に芽生え、彼をつき動かしてきたものがあった。

いまの世界を不幸にしている一因でもある「富の偏在」がそれである。繰り返し登場する「あるところからないところにちょっと移す」という彼の言葉は、そんな不平等を解消するための救済手段に他ならない。

社会の格差を助長する富の偏在は、資本主義経済とグローバリズムの副産物として回避困難な課題だが、作者は世界経済の現状を分析し、専門知識を噛み砕くようにして、読者の理解を促していく。男の動機とそこへと至る背景に強い説得力を感じるのは、作者のそんな懐深い語りの術に負うところが大きい。

理系の脳が必要とされる経済学の分野を咀嚼し、情報提供する作者のプレゼン能力の高さには、毎度のことながら舌を巻かざるをえない。
 
それにしても、日本の再生を目論む男の善意と、その結果が生む悪夢の間の落差には、愕然とする他ない。しかし、「サイケデリック・マウンテン」が映し出す毒々しく歪な景色は、人類にとって未知の領域への畏敬の念を呼び覚ます不思議な禍々しさがある。21世紀の伝奇文学と呼ぶにふさわしい幻視の風景といえるだろう。

われわれはどういう未来に歩を進めるべきか。そんな選択の重要さを突きつけてくる意味でも現代人必読の書といえるが、ギリシャ神話として広く伝わるゼウスが人間の思い上がりを戒めるためパンドラに託したという箱をめぐる有名な寓話を思い出させたりもする。

愛国と亡国の瀬戸際に立たされたエリート官僚の男女が、パンドラの箱の中に見出すものは希望か、それとも災厄か。未来への扉を開き、それを見届けるのは、読者のあなた自身である。
榎本憲男「サイケデリック・マウンテン」(早川書房刊)

榎本憲男「サイケデリック・マウンテン」(早川書房刊)

文=三橋 曉

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