(以下本稿は、版元新潮社よりのプレス・リリースを元に作成した)
遺族から渡された数枚のプリントアウト
著者本人の手による「あとがき」は、残念ながら坂本氏が3月28日に他界したことでかなわなくなり、本書の口述筆記の聞き手を務めた鈴木正文氏が巻末に「著者に代わってのあとがき」を寄せている。その原稿の準備中、鈴木氏は坂本氏の遺族から数枚のプリントアウトを手渡されたという。それは生前の坂本氏がPCやiPhoneでつけていたという日記の一部だった。
年明けに20時間にわたる大手術を受けたあとの2021年5月12日
《かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ》
YMO時代からの盟友・高橋幸宏氏が亡くなり 1 ヶ月ほどが経った2023年2月18日
《NHKの幸宏の録画見る/ちぇ、Rydeenが悲しい曲に聴こえちゃうじゃないかよ!》
鈴木氏による原稿では、こうした貴重な資料も交えつつ、口述筆記のプロジェクトが終わり今年を迎えてからの坂本氏の最期の日々のことが初めて明かされる。文字通り死の直前まで他者のため、そして自分のためにも仕事を続けた教授の姿を、この「あとがき」から知ることができるだろう。
口述筆記の聞き手、鈴木正文氏コメント
"坂本龍一さんが最後の日々に書きつけたことばや思想の断片をとどめる「日記」のうち、2022年9月23日のものには、「ぼくは古書がないと生きていけない/そしてガードレールが好きだ」との記述があります。「あとがき」では、そのまま紹介し、コメント 類は付加しませんでしたが、「古書がないと生きていけない」という吐露につづいて、「ガードレールが好きだ」という告白があったのには、虚をつかれました。それからというもの、僕はガードレールを見るたび、坂本さんのこのことばを呼び戻しては、路傍にうずくまるものいわぬかれらに、坂本さんに代わって(というつ もりで)、語りかけます。照る日曇る日、黙して僕たちを護ってくれてありがとう、ガードレールさん、と。"
──坂本龍一氏は、日本だけでなくアジアを代表する音楽家でもあった。『ぼくはあと何回、 満月を見るだろう』には多数の海外版元より翻訳出版のオファーがあり、中国の中信出版、韓国のWISDOM HOUSE、台湾の麦田出版からも、日本版と同じく「自然に還っていくピアノ」の写真を用いた装幀で同時刊行されるという(韓国版のみ数日遅れて6月 28日(水)に刊行予定)。