スポーツ

2023.06.12 18:00

顔を上げればファンの姿。ケガの連鎖を断ち切るマリノス宮市

坂元 耕二
「僕としては行きたかったし、あそこで飛び込んでいくことに対しての怖さもなかった。(自分を)試すというか、行けるという感覚があった。公式戦の舞台で、あのようなシーンで恐怖心を抱かずにプレーできたのは、ひとつの自信になったと思います」

重症を負った昨年7月の韓国代表戦を思い出す。このときも日本が3点をリードしていた。それでもゴールラインを割ろうかというボールを必死に追いかけ、中央へ折り返した直後に相手選手と交錯してしまった。ボールをめぐる状況が酷似しているなかで、足がすくみかねない。だからこそ、右膝に続いて心も完治していると、宮市は自らのプレーで証明したかったのだろう。

韓国戦でも福岡戦でも、味方からのパスを無我夢中で追いかけた。スコアなど関係ない。味方のプレーを無駄にしたくないからこそ、全身全霊のプレーで応える。チームの垣根を越えて、宮市が愛されている理由がここにある。

苦難続きの海外でのプレーと怪我の連鎖

宮市は2011年1月に、愛知・中京大中京高からJリーグを経由せずにイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ渡った。練習参加した際に見せた数々のプレーのなかで、特に突出したスピードが名門クラブに感銘を与え、5年契約を結んだ。

アーセナルはすぐにオランダなどのクラブへ宮市を期限付き移籍させ、将来へ向けて武者修行を積ませた。しかし、渡欧後の宮市は長期の戦線離脱を伴う怪我の連鎖に苦しめられた。

結局、プレミアリーグではわずか1試合に出場しただけで、約1年を残してアーセナルとの契約が解除された。ドイツ・ブンデスリーガ2部のザンクトパウリへ新天地を求めるも、加入直後の15年7月に左膝前十字靭帯を断裂した。

手術とリハビリを経て復帰を果たし、調子をあげていた17年6月には、今度は右膝前十字靭帯を断裂する重症を負った。それでも宮市は決して下を向かず、普通にプレーできる日々に、プロサッカー選手でいられる日々に感謝の思いを抱くようになった。

迎えた21年夏。マリノスへ移籍し、活躍の場を初めてJリーグへ移した。22年夏場までに、3得点をマーク。約10年ものブランクを乗り越え、日本代表への復帰も手繰り寄せた。
次ページ > 這い上がった先に待っていたファン。

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事