「皆様にご報告です。資格取得出来ました」
コメントと一緒に「介護保険法施行令第三条第一項第一号ロに掲げる研修の介護職員初任者研修過程を修了したことを証明する」と明記された修了証明書の写真が貼り付けてあった。再審無罪から丸2年が経った、2022年3月末のことだった。
障害者雇用で「介護の仕事」に再挑戦
再び、ハローワークに通う日々が始まった。求めたのは障害者雇用で介護の仕事ができる職場。しかし、職員には「障害者の枠で介護の仕事はなかなか難しいですよ」と言われた。あきらめずに探し続けること数カ月。障害のある西山さんを介護職として受け入れてくれる職場が見つかった。しかも、実家から車で通える施設だった。
新しい職場の初日となった昨年7月1日、西山さんは意気込みをFB(抜粋)で伝えた。
「今日からまた介護施設で、働くことに決まりました。朝から緊張して、胃が痛い!!でも自分の好きな仕事につける事は、幸せなことだ。私が逮捕されて、祖母の介護が出来なくなり、母に任せるしかなかったが、介護疲れと私が逮捕されたショックで、母は脳梗塞になり、苦労をかけた。私が介護施設で働く事に、こだわりを持ったのは、祖母の介護が出来なくなった事と、母の体の自由を奪ってしまった償いにはならないが、逮捕されるまでに目指していた介護福祉士になるためだ。頑張らなければ!!」
新たな施設で介護士の仕事に就いてから、間もなく1年が経つ。充実した日々を西山さんはこう話す。
「介護の資格(介護職員初任者研修の修了証)を取っておいたので、お風呂介助、おむつ交換、車いす移動も担当しています」
前の施設では「一般雇用」での勤務だったが、今回は「障害雇用」。無理をしないようパート勤務から始めている。
「ありがたいのは、私が作業をしている時に、必ず誰かが見てくれること。作業は任せてくれるが、絶対、1人にされることはない。そこがとても安心です。もし、利用者さんが青あざをつくって虐待が疑われたとしても『そんなことしてないよ』と言ってくれる」
障害者雇用だからこそ得ることができた「安心」といえる。
「数えることが苦手なことは、最初に伝えました。たとえば『おむつを25個持ってきて』と言われても、数を間違えてしまう。自分から苦手だと言っておいたので、職場の方でおむつをあらかじめ5組ずつに分けてくれて『5セット持ってきて』と言ってくれるなど、私が間違えないように配慮してくれるんです」
次のステップとして介護福祉士の資格取得を目指す。「手当てが付くし、やれることも増える」。障害を仲間と共有することで苦手を克服し、資格を新たな強みにすることでさらなる自立を試みる。
事件によって失った時間は戻らない。
「最初に勤めたコンビニでは、バイトの高校生に親の年齢を聞くと私と同じくらい。過ぎた年月が悲しくなることもあった」。悲しみは癒えないが、振り返ってばかりもいられない。
自分の新たな人生のため、そして、冤罪で苦しむ人のため。次回は、再審を目指す人たちの支援にも奔走する西山さんの姿を伝えたい。
連載:供述弱者を知る