2023.05.26

「旅マエ」と「旅アト」の体験を見直す1300年続く岐阜の観光鵜飼

長良川鵜飼は、岐阜県岐阜市を流れる長良川で毎年5月11日から10月15日まで行われる

すでに昨年1年間の乗船者数を突破

今年の鵜飼開きの日、岐阜市の柴橋正直市長は、その挨拶で「今季の観覧船乗船者の予約数が、今日の時点で昨年度の年間乗船者数の5万2889人を超えました。この調子で今年度の目標である8万5000人を達成し、まずはコロナ禍前の10万人台に戻していきましょう」と笑顔で語った。

過去の乗船者数のデータを振り返ると、1965年から1993年までは常に年間20万人を超えており、ピークは1973年の約33万7000人だった。なので、コロナ禍前の10万人台という数字目標が適切かどうかは、検討すべき点も多々あると思われる。何より最近の観光は、来場者数よりも、1人1人の観光消費額を上げることのほうが重要だといわれるからだ。

そもそも鵜飼とは、鵜匠が古来から伝わる装束を身に纏い、各自が保有する鵜舟に乗り、篝火をたいて自ら飼い慣らした鵜を操り、鮎などの川魚を獲る漁法であって、それ自体は、本来は「見せ物」ではない。

一方で観光鵜飼は、観光客が鵜飼観覧船という別の船に乗り、川上から川下にくだりながら鵜匠たちが行う鵜飼の様子を、お酒を飲んだり食事しながら眺めつつ楽しむというものだ。

しばしば「鵜飼観覧船には鵜匠が乗っていないの?」と訊かれるが、「鵜が鮎を捕らえる様子を遠くから見るものなのだ」と応えると、「そうだったの」と若干ガッカリした表情をされることも少なくない。
鵜飼が行われる長良川の夜景、川沿いには宿泊施設が建ち並ぶ

鵜飼が行われる長良川の夜景、川沿いには宿泊施設が建ち並ぶ


とはいえ、実際に鵜飼観覧船に乗り、普段の暮らしの目線からは一段も二段も下がった川面の流れに身を任せながら、星空のもと風を纏い、漆黒の闇のなか遠くから近づいてくる鵜船の篝火の炎の迫力や川面に揺れる美しさ、鵜匠の鵜を操る手捌きなどを間近に見ることは、まるで千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界の味わいだ。これは体験したものでなければわからない醍醐味だと思う。

私が子どもの頃の高度成長期真っ盛りの頃は、観覧船の乗客たちは鵜飼を見るより、芸者さんとともに酔っ払って大宴会をしている印象が強かった。しかし最近は、そんな無作法な観光客も減った。

鵜舟が近づいてくると、漆黒の闇を演出するために、観覧船の明かりだけでなく、両岸にある観光ホテルの照明なども消されるようになり、それまで騒ぎ楽しんでいた観光客も静かに鵜舟の動きに注目し、岐阜長良川という場所ならではの景色を体感していただけるようになったのではないかと思う。

高度成長期の享楽的な観光がもてはやされた時代のなかでは、そもそも観光としての鵜飼がどうあるべきかという考え方が乏しく、次第に乗客数が低迷していったのは必然だった。

その反省を経て、再度、長良川の鵜飼が継承し続けてきたものをしっかりと見定め、本物の日本の美や自然を愛でる心、伝統と歴史が育んだ文化体験など、観光資源としての鵜飼のありようを見つめ直そうという動きが出てきたのがここ20年ほどのことなのだ。

「鵜匠の家訪問」プログラムの実施

そんな背景のなか、「鵜飼は一夜の鵜飼見物だけにあらず」というのが、このところのサステナブルツーリズムを推進する私たちの合言葉だ。

例えば、鵜匠家に代々伝承されている、飯と塩で鮎を発酵させた食品で酢を使用しない「なれずし」の一種である鮎鮓(あゆずし)の紹介や、船大工が高野槙でつくる伝統の鵜舟や長良川鵜飼観覧船の造船技術や船頭さんによる操船技術など、忘れ去られがちな匠の技の見学など、まさに鵜飼という伝統文化を支えるさまざまなものの見直しがされている。
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文・写真=古田 菜穂子

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