アート

2023.05.30 09:00

福武一族が挑む世代を超える事業 アートの力による地方の活性化

豊島美術館。アーティスト、内藤礼と建築家、西沢立衛による。2010年開館。復活させた棚田の一角に建てられた巨大な水滴のような形の建築物。大きな空間に柱がひとつもないコンクリート・シェル構造で、天井の2カ所の開口部から屋外の風や光が内部に入り、内部では一日を通して「泉」が誕生している(写真=NOBORU MORIKAWA)

豊島は、地元住民の心理と物理的な現実が大きく転換した最たる例かもしれない。かつて環境と評判を破壊され、住民は島に対する誇りと、自信のほとんどを失っていたと福武は語る。

国内最大の有毒廃棄物の不法投棄事件の後の、島をきれいにするための何十年にもわたる苦闘はいま、大詰めを迎えている。政府は、主に税金を財源とする820億円を投じて、22年に汚染地下水の浄化作業を完了させる見込みだ。まるで福武自身の慈善事業に合わせるかのように。

現在、豊島には福武財団にとって最も貴重な資産のひとつである豊島美術館がある。プリツカー賞受賞者の建築家の西沢立衛とアーティストの内藤礼による水滴の形を模した白いコンクリートの建造礼による水滴の形を模した白いコンクリートの建造物で、同時にアートインスタレーションでもある。

福武の最大の願いは、福武財団の美術館がほかの地域の再生の「媒介役になること」だという。福武は1990年代初頭に最初のアート展示場を開設したが、彼に瀬戸内国際芸術祭のアイデアの種を植え付けたのは、2003年に訪れた北日本のある芸術祭だった。それから7年かけて、福武と福武財団は地方自治体や国と協力し、芸術祭の計画を打ち出し、タウンミーティングを開いて支持を獲得していった。

第1回瀬戸内国際芸術祭は、豊島美術館の開館と同じ年の10年に開催された。福武によると、25年の芸術祭に向けた一家の事業には、アジアのアーティストを中心に取り上げる3階建ての建物を直島に建設する事業や、豊島にある廃校になった中学校をギャラリーに改造する事業などがある。
「自然と人間を考える場所」として設立された、安藤忠雄の建築設計による地中美術館。クロード・モネの作品などが恒久設置されている。

「自然と人間を考える場所」として設立された、安藤忠雄の建築設計による地中美術館。クロード・モネの作品などが恒久設置されている(写真=Seiichi Ohsawa)


英明は、財団が資金調達や職員の育成、独立性の堅持を通じて持続可能であり続けていくことが、ひとつの重要な課題だと語る。福武家が長期的な話をするときは、数十年単位で考えていることを意味する。

「私たちにも投資対効果目標はあります。ただ、それは四半期単位や1年単位、3年単位で評価されるものではありません。私の息子が投資を回収できれば、それでいいのです」

そう語る英明も、彼なりのジレンマに直面している。自身が財団の指揮を執るようになれば、自分の印をつけたくなる誘惑をかわす必要も出てくる。彼はこう話す。

「私は物事を変えたくなる性格なので、葛藤はあります。ですから、物事をほんの少し変えて進化していくことが重要になるでしょう」

福武總一郎 福武財団名誉理事長、ベネッセホールディングス名誉顧問

福武英明 福武財団理事長、ベネッセホールディングス取締役
福武書店創業者、故福武哲彦の「子供のための国際的なキャンプ場を直島につくる」という夢から出発したプロジェクトは、總一郎によって近代化の過程で傷ついた島々をアートで再生する事業となった。英明も事業を引き継ぎ、世代単位でこの事業の遂行を目指す。一家は、ニュージーランドに移住しているが、財団を支え続けることが「不可能になる」日本の50%の相続税を逃れるためともいわれる。

福武書店創業者、故福武哲彦の「子供のための国際的なキャンプ場を直島につくる」という夢から出発したプロジェクトは、總一郎によって近代化の過程で傷ついた島々をアートで再生する事業となった。英明も事業を引き継ぎ、世代単位でこの事業の遂行を目指す。一家は、ニュージーランドに移住しているが、財団を支え続けることが「不可能になる」日本の50%の相続税を逃れるためともいわれる。

文=ジェイムズ・シムス 翻訳=木村理恵 編集=森 裕子

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