2023.09.19 18:00

まさに博物館級のフェラーリ|フェラーリ365GTB/4のプロトタイプ#10287

石井節子

1967年初頭に完成した#10287は、その年のうちにモデナ・オートドロームで大規模なファクトリーテストを実施した。1968年5月8日、ローマのフェラーリ正規ディーラーであるMotor S.a.s. di Carla Allegretti e Cを通じて、イタリアのナンバープレート「Roma B 85391」を付け、800万イタリアリラという販売価格で初登録された。当時、この価格は新車の275GTB/4と同程度であったが、その時点ではまだ365GTB/4デイトナの市販モデルは登場しておらず、1968年のパリ・オートサロンの5カ月ほど前のことであったというのは興味深い。

#10287はフェラーリのファクトリーから旅立つと、まずローマの実業家であるヴィンチェンツォ・バレストリエーリ伯爵のもとに収まった。彼はスポーツ活動、特にオフショア・パワーボートレースで有名になり、#10287を所有していたであろう1968年と1970年に、オフショア・パワーボートレース世界チャンピオンになった。アメリカ人以外で初めて世界選手権を制し、4連覇を達成したドライバーでもあり、この間に5つのスピード記録を達成している。彼の息子の回想によると、バレストリエリは新車の365GTB/4を注文していたが、納車前にエンツォ・フェラーリとの会話で、365GTB/4のスパイダーバージョンが登場することを知り、そちらに興味を持ったそうだ。エンツォはデイトナ・クーペを納車する代わりに、#10287を貸し出し、デイトナ・スパイダーを待つ間に楽しんでもらい、デイトナ・スパイダーが到着するとプロトタイプはフェラーリに引き渡された。

マルセル・マッシーニのレポートによると、#10287の最初の個人オーナーはローマのFIMA S.p.Aで、次のオーナーはボローニャのガンパオロ・サルガレラのようだ。彼は1972年にFIMA S.p.Aからこの車を購入したものの、サルガレラの手元には長くとどまらず、同年5月にイタリアからアメリカへ輸出された。#10287は、アメリカ南部で数人のオーナーを経て、1978年にイリノイ州シカゴのVictor N. Gouletに購入された。

その年の暮れ、ブラックホーク・ファームズ・レースウェイで開催されたフェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ・セントラル・ステイツのイベントで、グーレはこの車を披露したのである。その後グーレは南カリフォルニアに移り住み、もちろんこの車も連れて行った。

1989年、グーレはこの車を売却し、スイスで保管することを選択したオランダ人の所有となり、ヨーロッパに戻った。#10287は、その後自動車ディーラーでスイスに在住のイタリア人に売却された。そしてこのイタリア人が所有していた時には、1993年5月にフランスのディオンヌ・レ・バンで開催されたグランプリや、サンモリッツで開催されたフェラーリ・スイスの20周年記念ミーティングなどのイベントで、度々披露されていたようだ。



2003年9月、デイトナ・プロトタイプは現オーナーの父親が入手し、オランダに戻された。フェラーリ専門誌「カヴァリーノ」211号に掲載された彼の言葉が、#10287のコンディションと当時の心境を端的に表している。
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