伊藤:一番印象深いのは、東日本大震災のときです。僕はそのころプラスという会社にいて、文房具やオフィス用品を取り扱っていました。震災で物流網はメチャメチャに破壊され、トラックは動かない。ガソリンもない。僕らの扱っている飲料や食品、台車、ダンボール、 長靴、消毒液、清掃用品や土のうといった商材を、一刻も早く被災地に届けなければならないと思いました。
僕自身は非常事態のときの担当役員でも何でもなく、とにかく困っている人がいるんだから救うのが先決だろうと。それこそ「ダチがいる」みたいな。社内で賛否両論が飛び交うなか、仲間を巻きこんで救援に奔走しました。規則や形式なんて、もはや役に立たない。自然と復旧のリーダーみたいな感じで動き回りました。遠いアフリカの現場に降り立ちネクタイを投げ捨てた金太郎のように、そこにある「現実」が大事だったのです。
一方でそれは、ひとりの思いだけでやっても動くわけではない。だから「こうやったほうがいいんじゃないの」とみんなと対話しながらやっていった。そのときに「これか」と気づきました。それまでは会社の言うことに120%で対応するのがサラリーマンだと思っていたけれど「ああ、こういうことをやっていけばいいんだ」と実感したのです。
反対されるようなことでも、長期で考えれば、会社の役に立つことはわかっていました。実際に東北方面では、ほかの会社に比べて1〜2週間復旧が早かった。結果「神様仏様プラス様」とまでいわれた。東北地方で売上がバーッ!と伸びたんです。いったん助けてもらった会社はよそには戻らない。結果東北で強い会社になった。
栗俣:熱い思いを向けた結果ビジネスになっている。まさに『サラリーマン金太郎』ですね。
伊藤:そうなんですよ。別に社長だけが言う権利があるわけじゃない。社長だろうが役員だろうが部長だろうが平社員だろうが、特に非常事態にはみんなフラットに言う権利がある。みんなが言葉を出したときに、それが集まって会社の意志になっていくことを学びました。
金太郎が入る前のヤマト建設は、トップダウンのヒエラルキーの中でみんないうことを聞いていた。金太郎が平社員から入って、ヒエラルキーをギタギタに壊しちゃったわけですね。結局ビジネスの世界で必要だったのはそういうことなんです。日本は金太郎が描かれ始めた94年から何ら成長していない。これをぶち壊す軸をもち、水鳥のように目に見えないところでグチャグチャと手足をもがき誰よりも努力していく意識をもった人がどんどん現れてこないと「失われた30年」は打開できないと思います。読み返してみて「やっぱりいま必要なのは金太郎だよな」と強く感じました。