食&酒

2023.04.26

コラボは学びの機会。フレンチと和食「35歳トップシェフ」の発見

「山﨑」店主の山崎志朗、「セザン」料理長のダニエル・カルバート

──お二人とも、著名なシェフの元で修業を重ねています。現在に至るまでに受け継いだもの、師匠の影響について、どんなふうにとらえていますか。

カルバート:私はニューヨークの「パ・セ」を経て、パリの「エピキュール」(いずれも三つ星のフランス料理店)で働いていた時にオファーを受けて香港に移住、「ベロン」で5年を過ごした後に東京へ。決断するのは早い方です。でも一度決めたことは、しっかりとやり通すことをポリシーにしています。

悩ましいのは、今でも修業先の巨匠の料理を期待されることがあること。もちろん、多くの影響を受けているのは確かですが、独立して、香港時代も含めれば、自分のスタイルを表現するようになってからもう7年。より自分のアイデンティティを確立したいと思うようになりました。
 


山崎:その点、僕はラッキーだったかもしれないです。「山﨑」を立ち上げる前、独立して最初に出した店は、一人1万円のコースを出す焼き鳥店でした。8年間働いていた赤坂の「もりかわ」は客単価5万円以上の高級店でしたから、その時代のお客様が来るような店ではなく、3日間誰も来ない時期もありました。

もともと、30歳までに独立すると決めていて。それは、借金して1回潰れたとしても、居酒屋の店長だったり、何かの形で働いてお金を貯めて、40歳でもう一度チャレンジできると思ったからです。チャンスは多くあった方がいい。もちろん、潰れる前提で独立したわけではないですけれど。

いろいろな意味できつかったですが、逆に師匠のスタイルからは脱却する良い機会となりました。その苦しい時代に「おいしいとは何か」と自問自答を続けたことは、自分のスタイルを築くきっかけにもなりました。

カルバート:それを聞くと、自分の苦しかった時代を思い出します。「ベロン」のシェフとしてスタートした時期はゲストがなかなか来なくてきつかった。

パリの3つ星風の料理だとか、技術的にとても手の込んだものをつくって、自分は料理ができるのだと証明する必要もありました。だから、当時はもっと今よりもっと「いかに手をかけたか」という努力が目に見えやすい料理をつくっていたと思います。でも、今やりたいのは、同じ労力をかけても、手をかけていることが表に出過ぎず、もっと自然でさりげなく見える料理です。

山崎:今のお客様の多くが「山﨑の料理」を楽しみに来てくださっていますが、日本料理の世界は全般に「師匠譲りの味」を期待してくる人も多いのも確かです。その点、西洋料理の方が、自分らしさ、クリエイティビティを遺憾なく発揮できる。その考え方が合理的だし、自分がワクワクする方向に向かうだろうなと思います。


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文=仲山今日子 写真=皆川聡 編集=鈴木奈央

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