この子は一度も“おめでとう”を言ってもらえなかった子ども
塩瀬氏:ハンマーで殴られたような衝撃をこの本で感じました。命が生まれるという日常はもちろん、あの日あの地域でも起きていたはずなのに、この本を拝見するまでまったく想像できていなかった。「希望」が1つ1つ小さく生まれてきたはずなのに、生まれたことがうれしいとは言いにくい状況にあった。104人のそういった思いをすくい上げられたのは、それまで「生まれること」に関わり尽くしてきた磯田さんたちならでは、かもしれませんよね。
磯田氏:1年後の3月11日は「追悼の日」、「鎮魂の日」。喜んじゃいけないという自己規制が親ごさん方にも働いていた。
塩釜のお母さんが「この子は一度も“おめでとう”って言ってもらえなかった子どもだったんです。でも今日、椅子をもらって、初めて祝っていただいた気がします」と言って涙ぐまれた。
仙台のお父さんは「私は3月11日の出生届を出したくなくて、1日ずらしたかった。一生“3.11の子”と言われるんじゃないかって。でも妻が陣痛に耐えて産んでくれたこの命の出生日を変えることはできないと思って出した。今日この椅子をもらって、出して良かったと思いました」って言ってくれました。
小さな椅子ですが、小さな役割を果たすことができたという実感で帰ってきました。
この椅子に座った東北の子どもたちが生まれ故郷を思い、日々の思い出をこの椅子に刻み込みながら、いつか東北の担い手になることを願っています。
北海道のぬくもりを生かして、君の居場所を贈り続けていきたい
磯田氏:実は、私がこの取り組みを始めてから届いたあるお手紙があります。これは、このプロジェクトを絶やすことなく続けていかなければと思うきっかけになりました。「『君の居場所はここにある』というフレーズに胸を突かれました。
我が子は630g、30cmという小さな体にたくさんのチューブをつけて、注射・手術に耐え、危機を乗り越えつつ生きてくれています。
生まれてすぐに本当なら味わえるはずの、家の温かさや両親の抱っこを経験せず、一人で過ごしてくれた娘に『あなたはうちの子なんだよ』という思いを形で示し、これまでの頑張りをねぎらいたいと思っています」
このお手紙をもらってから椅子を作り始め、出来上がった椅子を持って、ご夫妻とさおりちゃんに会いに京都を訪ねました。
さおりちゃんは生まれたとき、「3日の命かもしれない」と言われた。それが1年を超えて生きてくれた、その感謝の気持ちをこの椅子に託したいと思ってくださった。1歳になった時に、どうか「君の椅子」を届けてください、とお母さんからご連絡がありました。
あれから12年の歳月が過ぎました。今日、このインパクトハブ京都にお母さんが来てくださいました。さおりちゃんはもう、お母さんよりも背丈が大きくなったんです。嬉しいです。涙が出てきてしまいます。
これまで作った椅子の数と、生まれた命の数が同じなのです。それを「ものづくり」の職人の技が支えてくれています。いつかこのものづくりの確かな力が北海道の、日本の人たちの誇りになるような仕組みになるよう、続けていきたいなと思っています。
そして、これからいつか出会うに違いない家族が、その思いを託するに足る「椅子」であり続けられるよう心して取り組んでいきたいと思います。