日本が多くの命を失った日に生まれてきた「希望の光」
塩瀬氏:東日本大震災が起きた2011年には、岩手県、宮城県、福島県で3月11日に誕生した子どもが104人いることを独自に調査。名前が確認できた98人に「希望の『君の椅子』」を贈られましたよね。磯田氏:2011年3月11日は壮絶な日で、日本が息をのんだ、言葉を失った日でした。
それから2カ月後、「あの日も、紛れもなく新しい命が生まれていただろう」という想像をしました。それは「君の椅子プロジェクト」に取り組んできた者として、自然に湧き上がってきた思いだったのかもしれません。
私が想像したのは、1年後の2012年の3月11日に、その生まれた子どもたちのご家族がどんな日としてその日を迎えるんだろう、ということです。
1万5千、6千人もの方が亡くなった日、その日に生まれた子どもたちが1年後に1歳の誕生日を迎えた時、その子どもたちの家族はきっと、カーテンを閉めてひっそりと、物音も立てずにその日を過ごすのではないかと想像したんです。
死を悼むことは人間として当然のことです。でも同時に、「おめでとう」の思いを届けるのも人間の営みとしてごく普通のこと。日本の社会の未来を考えた時、「あの壮絶な日」に生まれた子どもたちの命の成長は、日本の希望になるんじゃないだろうかと考えました。
そして、被災3県128自治体に手紙を出し、あの日生まれた命の数を教えていただきました。役場も流されて何もなくなっていた南三陸町からも、最後に1名生まれていたという返事をもらいました。5カ月かけて、あの日、104人の生命が生まれていたことがわかりました。
日本の国民は、誰しもが東日本大震災での死者の数や行方不明者の数は知っていたはずです。でも、「生まれた子が104人いた」ことも知ってもらいたかった。そう思って、11月中旬、被災3県の出生数を発表しました。
その子どもたちの元へ”希望”と名付けた「君の椅子」を贈りたいと考え、「ファーストネーム」を教えて欲しいという2度目の手紙を出しましたが、その結果、41自治体の98 人の名前がわかりました。その98脚を組み立て、届ける旅に出たのがその年の12月でした。
最初に訪れたのは岩手県宮古市。市長と、さくらちゃんというお子さんとそのご家族にお会いして「希望の君の椅子」を渡した時、市長はさくらちゃんを抱き上げながら「言われてみればさくらは宮古の希望だな」と言ってくれました。宮古市は526人の市民が亡くなっていましたから、市長が生まれた生命に思い及ばなかったのも当然でしょう。しかし、私たちは、98人の生命の健やかな成長こそが東北の復興につながると思い、椅子を贈ることにしたのです。市長の「言われてみれば......」という言葉はまさに私たちの原点の思いそのものでした。
2カ月半かかって98人全てに椅子を届けました。その後ご家族に、あの日どんな思いの中で新しい命が生まれたのか、記憶を記録してほしいと改めてお願いし、29名のご家族の手記が『君はどんどん大きくなって 僕はだんだん小さくなって』という本になりました。