ジブリを生んだ「メディア・エンタメの怪人」 超豪快な表の顔とウラの顔

Romolo Tavani / Shutterstock.com

確かに交渉は試みていたので虚偽ではないが、誇張と言うには一線を越えていたかもしれない。
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どのようにマスコミを陽動して、目的を達成するべきかを追求し、背に腹は代えられない場合、多少のリスクは自ら取る。そんな徳間の行動は、コンプライアンスによって厳しく律せられる現在のメディア経営者には真似のできるものでは無い。

すっかり風化してしまったが、1988年に発覚した戦後最大の贈収賄「リクルート事件」*では、徳間も受益者の一人と疑われていた。 * 政財官界に影響力を持とうとした江副浩正リクルート会長が子会社の未公開株を有力者たちに譲渡した汚職事件

メディア企業主として取材対象になることは絶対に避けるべきと考えた徳間は、国内から姿を消し、米国に渡った。
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早朝から深夜まで超過密スケジュールをこなす日々から突然、社業、家族と離れ、時間を持て余す生活となった彼には相手が必要で、「舎弟」と呼ばれながら事業顧問を務めた筆者は、ロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨークと共に移動する道中、様々な本音を耳にした。

所有する企業の多くが巨額の負債を負いながらも、「金は銀行にある。借りられれば何の問題もない」。口癖のようによくそう言っていた。「その為には、常に人のやらない新しいことを考えて実践する。そうすれば、解決の途は必ず開ける」と確信していた。

そんな彼に、多くの事業の中で何が一番楽しいかと訊ねると、理事長や校長を引き受けていた逗子開成中学・高校で「学生や保護者と触れ合う時間だ」と即答した。子供たちの役に立ちたいとの強い一念を持つ顔がそこには確かにあった。

類稀なる才覚を持ちながら、常に資金面での危機に晒され、それでも新たな事業に対する情熱を最後まで失わなかった徳間が常に口にしていたのは、「鉛筆一本でここまで来た」だった。

もう二度と徳間のような、メディア・エンタメの怪人が現れることは無いだろう。

連載:スポーツ・エンタメビジネス「ドクターK」の視点

文=北谷賢司 編集=宇藤智子

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