成就しなかったものの、コスナーは徳間の放つオーラに感銘を受け、その後も個人的な付き合いが継続。ロサンゼルスで開催された徳間事業団の北米進出記念パーティーにも、既にスターの座を得ていたコスナーがバンドを引き連れて登場し、参加者を驚かせた。
宮崎駿や高畑勲に直感で長編アニメ映画制作を委ねた慧眼が、コスナーを成功前に見出していたことには驚愕させられるが、自らの勘に事業を託す姿勢は一貫していた。
『敦煌』『おろしや国酔夢譚』ではハリウッド大作規模の製作費を調達
中国との文化交流に熱心だった徳間は、井上靖原作の日中合作映画『敦煌』を製作し、88年に公開した。人民解放軍兵士を千人以上動員した戦闘シーンのロケや、現地に5億円の宮殿セットを建設したことなどで、製作費は45億円まで膨張し、当時のハリウッド作品に匹敵する予算規模の超大作となった。現在、ほぼ全てと言っていいほどの映画作品で導入されている「製作委員会方式」の原点は、この『敦煌』で徳間によって築かれた。中国事業に注力していた丸紅からの5億円をはじめ、一般企業からの出資を自ら集めて、作品を完成させたのだ。
共同事業体に名を連ねた電通には、宣伝広告だけでなく、450万枚を上回る企業向けチケットの販売も委ねられた。成田豊社長命で社員も2枚ずつ購入し、鑑賞したという。
こうして辛うじて赤字は免れたものの、当初から期待していた欧米諸国での配給は殆ど叶わなかった。
そこで、次に徳間が国際配給を視野に企画したのは、同じく井上靖原作の『おろしや国酔夢譚』(92年)だった。
伊勢から江戸に向かう途中、嵐に遭遇してアリューシャン列島に漂着した大黒屋光太夫が、苦節の上、ペテルスブルグ(サンクトペテルブルク)でロシア女帝エカチェリーナ二世に拝謁を果たし、帰国を認められるという歴史映画だ。