政治

2023.03.11 18:00

チャンスはピンチも内包する

川村雄介の飛耳長目

川村雄介の飛耳長目

年明け早々の、ある公的な委員会の席上であった。テーマは、中小企業金融制度の改革についてである。金融機関関係者は異口同音に唱えた。
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「コロナ禍の金融面への影響は、まさにこれから出てくる。中小企業金融の本当の危機を迎えつつあるいま、改革どころではない。先送りすべきです」

これを聞いた委員のひとりが声を荒げた。

「改革するならいまでしょ! 先送り論ばかりでは、いつまでも改革などできません」
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発言主は、産業構造的に難しい分野の中小企業をかじ取りしている女性社長である。

1990年代からの30年間だけでも、危機といわれる出来事は数多く発生した。バブル崩壊、阪神淡路大震災、金融・証券危機、ITバブル崩壊、リーマン危機、東日本大震災からコロナ禍等々、グローバルにもロシア危機やアジア通貨危機、そして昨今のウクライナ戦争まで枚挙にいとまがない。危機はざっと3年ごとに起こっている。

日本では危機のたびに国の出動を要請し、そのため財政は大赤字、国債を大量発行し、子孫に天文学的規模の借金を積み上げている。失われた30年は危機と国のせいであるかのような言動も気になる。

だが、危機からの復活や危機をバネにした発展の例は歴史のなかにいくらでもある。例えば、明治維新が近代日本建設の原動力になったことは間違いないが、従来のシステムで生業を営んでいた人々には破壊的な危機を招いた。典型例が京都だ。遷都による首都機能の喪失で、天皇、公家、有力商人らが東京に移動し、政治的、経済的、文化的な京都の存在は、その先行きすら見えないものになっていた。

この未曽有の危機を、京都は「伝統のなかの革新」を進めることで乗り切った。

まずは博物館、美術館を積極的に建設して文化拠点として生き残りを図った。同時に日本で最初に小中学校を開設する一方、産業近代化に資する勧業場や先端技術導入のための舎密局を設置し、琵琶湖疎水と発電所建設、市街電車の敷設を断行した。今日の世界的文化都市とスタートアップ、ベンチャー企業の孵化器としての地位は、明治維新という大きな危機を発展に転化させた成果であろう。
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文=川村雄介

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