政治

2023.01.26

中学生が手嶋龍一氏と「ウクライナの戦争はなぜ防げなかったのか」を考えた

東京都渋谷教育学園渋谷中学校の生徒が外交ジャーナリスト手嶋龍一氏とウクライナ戦争を考えた(写真=曽川拓哉・コラージュ加工=中根涼花)

核の戦略理論家たちは、こうした「恐怖の均衡」を確かなものにするために、米ソの交渉を通じて、相手側のミサイルを落としてしまわないよう迎撃ミサイルの配備を制限する条約(ABM条約)まで締結したのです。これで相手の長距離ミサイルに対しては、丸裸の状態となりますからね。そして双方の国民はまさしく“核戦争の人質”にされました。そうすれば、どんなに愚かな指導者も核戦争など始められないはず──核戦略の専門家はそう考えたのです。

話を現代に引き戻します。現在のアメリカとロシアは、ざっと双方が1500発ずつの長距離ミサイルを保有しています。中国も500発程度の保有を目指しています。核の「恐怖の均衡」はいまも続いています。いくら、ロシアのプーチン大統領が強硬でも、核のボタンに手をかけて、全面核戦争に手を染めるとは思えません。そう信じたい。

しかし、ウクライナという戦域に限ってみると、核戦争はありえないと安心するわけにはいきません。ロシア軍は、射程の短い小型核を周辺に配備しているからです。しかも、アメリカをはじめとするNATO軍は、ロシア側に小型核を使用させないよう抑止する小型の核兵器やその運搬手段である巡行ミサイルを必ずしも十分に配備してはいません。ですからウクライナの戦域に限っていえば、ロシアと西側には、十分な核の均衡が効いているとは言えない。分かりやすく言えば、プーチン大統領を「小型核を使う誘惑に駆り立てる」危険があるのです。皆さんの心配に正直に答えれば、限定的な核の使用はありうると言わざるをえません。心配でなりません。

──(釈迦戸)先日、学校の授業で1991年の湾岸戦争について学びました。キューバ危機は、いまのウクライナ戦争を理解するために学んでおくべきだという話でしたが、「湾岸戦争」とウクライナ戦争はかなり違うと思いますがどうなのでしょうか?

湾岸戦争の発端は、1990年、サダム・フセインが率いるイラク軍が突如としてクウェートに軍事侵攻し占拠しました。この戦争では、僕も最前線に取材に出かけています。クウェートがサダム・フセインを挑発したわけでも、手出しをしたわけでもない。その点ではロシア軍の侵攻を受けたウクライナと似ています。イラクが、ロシアと同様に、主権国家に突如、武力で押し入ったのですから。

冷戦の終結直後、西側陣営の盟主だった超大国アメリカは、国連の武力行使の容認決議を取り付けて、多国籍軍を組織して通常兵力でイラク軍をクウェートから撃退しました。「義を見てせざるは勇無きなり」と武力でイラクを撃ったのです。当時のイラクは、化学兵器は保有していたと見られていましたが、核兵器はまだ持っていないとアメリカは見ていましたから、この点はいまのウクライナの情勢とは異なります。

歴史には現代を生きるわれわれにとって多くの教訓が含まれていますが、歴史はそのまま繰り返すわけではありません。
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編集=石井節子 撮影=曽川拓哉

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