「世界は脆い」をわれわれに教えたキューバ危機
キューバ核ミサイル危機は、そんなまことに脆い世界の現実を我々に教えてくれています。ですから、あの危機の日々を自分たちのこととして身を以って味わっておくことが大切なのです。そのために、皆さんと同時進行のドキュメンタリーを見ることで危機の瞬間を旅してみたのです。冷戦の終結とともにこの恐ろしい現実は遠景に去っていったと私も愚かにも思い込んでいました。しかし、そうではないことがいまの“プーチンの戦争”を目の当たりにして分かったのです。人類はいまなお“核の時代”真っただ中にいる。僕はかつてハーバード大学の国際問題研究所のフェロー(特別研究員)として、キューバ危機の研究者(『決定の本質』の著者)として知られるケネディ・スクールのグレアム・アリソン教授や「核の時代の語り部」と言われるウイリアム・ペリー元国防長官(実際にキューバ危機の対応にあたった人物)など多くの関係者に話を聞いたことがあります。しかし、「なぜ、キューバでは核戦争が起きなかったのか」という質問に真正面から答えた人にあったことはありません。核の専門家であの危機の日々の実際を知れば知るほど「ケネディはたまたま運よく核戦争が回避できたにすぎない」と言いたかったに違いありません。
──(伊藤)キューバ核ミサイル危機の当時、アメリカとソ連は、核を発射すれば双方がかならず破滅してしまうという状態を回避し、全面核戦争には発展しなかったという解説を聞きました。では、ウクライナでの戦争が続くいまはどうなのでしょうか?
核心をついた鋭い質問ですね。あのキューバ危機では、幸いにも全面核戦争には発展しなかった。偶然運よくという側面も確かにあった。だが、米ソ双方はかなりの数の核ミサイルを保有していたため、核の応酬を始める可能性は確かにあった。でも、結果的には核戦争にはならなかった。そして、米ソ双方ともにキューバ危機を体験することで、「核兵器は実際には使うことができない兵器」になったと悟ったことでしょう。
にもかかわらず、その後、米ソ両大国は、核弾頭を運搬する大陸間弾道ミサイル、長距離爆撃機、原子力潜水艦を次々と配備し、核戦力を増強していきました。その結果、「米ソのいずれかが核のボタンを押せば大都市の住民はたちまち核の犠牲になる」ことをより確かなものにしていきました。互いの国民を核戦争の人質に差し出す「恐怖の均衡」という現実がつくられていったのです。