その謎は、翌朝解けた。歴史ツアーに参加した日、私は朝食をスキップしたので気づかなかったのだが、翌日、朝食会場に降りていくと、中庭の噴水のそばでテーブルを囲む家族連れの横に立ち、柔らかな物腰で談笑するダンカー氏の姿があった。
ラッフルズホテルの朝食は、ビュッフェにメインディッシュがついた、ボリューム抜群のもの。シンガポールの中心地にありながらも、広い敷地の中にはゆったりとした時間が流れ、「朝食を食べる」だけでなく、紅茶やコーヒーを飲みながら、ここで過ごす時間そのものを楽しむゲストが多い。
筆者は昨年16カ国を訪問し、さまざまなホテルに宿泊したが、国境が開いた後のいわゆる「リベンジトラベル」で旅行客が急激に増加し、世界各地どのホテルも、サービスがどうしてもせわしなくなりがちだ。
しかし、ここではダンカー氏が長年のキャリアで培った目配りで、さりげなくチームをサポートするのみならず、会話が途切れがちなテーブルを見るとすっと近づき、ラッフルズホテルの豆知識を披露したり、冗談を言って笑わせる。話の引き出しが豊富なだけでなく、お茶目で人間くさくもあるダンカー氏に、人々はついつい、近所のおじさんに話すような親近感を感じてしまう。
そんな寛いだ朝食時間を過ごしたゲストたちは、ロビーでダンカー氏の姿を見かけると、ちょっと一言挨拶したくて仕方なくなるのだろう。
現在ダンカー氏は83歳と高齢なこともあり、月曜から金曜の半日勤務。朝食の時間に始まり、歴史ツアーが終わる昼頃に勤務が終了だ。著書にサインをお願いすると、「そこには常にラッフルズ(ホテル)がある」とメッセージを入れてくれた。
聖歌隊を招いたクリスマスツリーの点灯式ではシャンパンが配られ、ゲストとスタッフがコミュニケーションする場にもなっていた。
歴史や格式と、親しみやすさ。一見相反するコンセプトを両立させる、その最前線には、やはり「人」がいた。ホテルは、氏の自叙伝を出版するだけではなく、「シンガポールスリング」発祥の地であるロングバーに、ダンカー氏をイメージしたカクテルを作り、ネーミングも氏に任せた。「ダンカー1972」。その苗字と入社年を冠したカクテルには、スライスしたスターフルーツが飾られている。
ホテルに聞くと、「長年働いてきたスタッフはホテルの『スター』である」という思いで使っているのだという。人を大切にする温かい姿勢が、そんなところにも感じられる。ダンカー氏は12人の歴代マネージャーのうち、8人と働いてきたというが、代は変われども、受け継がれるそんな思いが、このホテルを特別なものにしている。
日本のホテルにも、「名物」と言われるスタッフがいる。一律で「定年だから」ではなく、柔軟な働き方を提案し、ホテルとゲストをつなぐ役割をお願いするというのも、これからのホスピタリティ業界の「サステナブル」なブランド作りの鍵になってくるのではないだろうか。