健康

2023.01.14

障害者への「意識のバリア」をなくす NPO法人設立の道 #人工呼吸のセラピスト

連載「人工呼吸のセラピスト」左からドキュメンタリー映画「風は生きよという」に出演した海老原宏美さん、宍戸大裕監督と、押富俊恵さん

ただ、押富さんや河内屋さんらの人々を巻き込む力は想像以上だった。集まったボランティアは会場に入りきれないほど。新聞、ケーブルテレビなども「重度障害者で作業療法士のリーダー」に注目して、大きく取り上げてくれた。前売り券の販売場所も、市外の市民団体などにも広がっていった。

押富さんの第一印象を「34歳の年齢よりも若く見えて、おしゃれな子だと思った」と林さん。手作りのピアスはサクランボの実に緑の茎をあしらっていて、器用さにも驚いた。ファッションセンスの良さを番組の中で紹介したら「障害者だからそう言われるけれど、34歳の女性として考えたら普通のことですよね」と、狙い通りに返してくれて、大好きになったという。

押富さんが実行委員長になった理由

「私が実行委員長になったのは、まぎれもなく私が重度障害者だから」と、上映会前日のブログで、押富さんは書いている。「人工呼吸器ユーザーで作業療法士」という意外性、話題性があるから、マスメディアでも大きく扱ってくれたとわかっていた。

障害を売り物にしていると受け取られるかも、という不安もあったが「自分のような体験の持ち主はめったにいないのだから、卑屈になる必要はない」と行動への決意を語っている。それに続いて「生きていてくれるだけでいい、という言葉のやさしさも凶器性も、私は知っている」とも書いていた。

講演などに頑張ると、すぐに発熱、入院となってしまう体。「生きてくれるだけでいい」という両親の思いも、医療者たちの心配も痛いほど分かるけれど、リスクを恐れて安静にしているだけの生き方は望まない。最優先すべきは自分の意思。そんな信念がこもっていた。

上映会の3カ月には、名古屋の患者会に来た海老原さんと対面も果たした。

それから5年のNPO活動を経て、押富さんは2021年4月に亡くなった。強い絆を感じていた海老原さんも、同年12月に44歳で旅立った。

ともに人工呼吸、電動車いすで地域に出て「意識のバリア」に挑み続けたファイターだった。


連載:人工呼吸のセラピスト

(*今回より隔週公開となります。次回は1/28公開予定)

文=安藤明夫

ForbesBrandVoice

人気記事