押富さんの第一印象を「34歳の年齢よりも若く見えて、おしゃれな子だと思った」と林さん。手作りのピアスはサクランボの実に緑の茎をあしらっていて、器用さにも驚いた。ファッションセンスの良さを番組の中で紹介したら「障害者だからそう言われるけれど、34歳の女性として考えたら普通のことですよね」と、狙い通りに返してくれて、大好きになったという。
押富さんが実行委員長になった理由
「私が実行委員長になったのは、まぎれもなく私が重度障害者だから」と、上映会前日のブログで、押富さんは書いている。「人工呼吸器ユーザーで作業療法士」という意外性、話題性があるから、マスメディアでも大きく扱ってくれたとわかっていた。障害を売り物にしていると受け取られるかも、という不安もあったが「自分のような体験の持ち主はめったにいないのだから、卑屈になる必要はない」と行動への決意を語っている。それに続いて「生きていてくれるだけでいい、という言葉のやさしさも凶器性も、私は知っている」とも書いていた。
講演などに頑張ると、すぐに発熱、入院となってしまう体。「生きてくれるだけでいい」という両親の思いも、医療者たちの心配も痛いほど分かるけれど、リスクを恐れて安静にしているだけの生き方は望まない。最優先すべきは自分の意思。そんな信念がこもっていた。
上映会の3カ月には、名古屋の患者会に来た海老原さんと対面も果たした。
それから5年のNPO活動を経て、押富さんは2021年4月に亡くなった。強い絆を感じていた海老原さんも、同年12月に44歳で旅立った。
ともに人工呼吸、電動車いすで地域に出て「意識のバリア」に挑み続けたファイターだった。
連載:人工呼吸のセラピスト
(*今回より隔週公開となります。次回は1/28公開予定)