それから9年余、インフレ率が2%に到達することはなく、インフレ目標政策という枠組みも、達成手段である量的質的緩和も失敗した、という有識者が多かった。ただ、22年秋になり、インフレ率は急上昇、10月には、総合指数で3.7%、生鮮食品を除く総合指数で3.6%、生鮮食品およびエネルギーを除く総合指数でも、2.5%の上昇となった。いよいよインフレ目標の達成が視野に入ったのだろうか。
2%は達成しなくてもインフレ目標政策が失敗したわけではない。第一に、13年からコロナ禍が始まる直前の19年までは、インフレ率2%は達成していないもののプラス圏で推移していた。インフレ目標政策採用前数年のマイナス(デフレ状態)からは大きく改善、デフレ脱却には成功した。
第二に、GDP成長率や失業率で測る実体経済は極めて好調だった。金融政策は、インフレ率とGDPギャップ(あるいは失業率)のそれぞれが目標値から外れないようにバランスをとった政策を行うことが望ましいとされている。これを(弾力的な)インフレ目標政策と呼んでいる。
実際に、日本銀行法第2条は、「日本銀行は(中略)、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」としているので、インフレ率が2%でも、経済が大不況というのは望ましくない。その逆に、インフレ率が2%に達しなくても、実体経済が目標に到達していれば、政策はある程度成功したといえる。
22年のインフレ率の急上昇は日本に限ったことではなく、世界的現象である。その主因は、ロシアによるウクライナ侵略と、それに対する西側諸国(含む日本)によるロシア制裁により、原油・天然ガス価格などエネルギー価格が高騰したこと、さらにサプライチェーンの分断などで穀物価格の高騰などが起きたことである。
欧米ではインフレ率が8%から10%にもなり、中央銀行が金融引き締めに転じた。一方、日本のインフレ率水準は欧米に比べるといまだ低く、23年にはインフレ率は低下すると予測されていることから、日銀は異次元緩和を継続している。この結果、欧米との金利差が拡大、それにつれて円安が進行した。
22年の年初には1ドル115円だったのが、10月には一時1ドル150円まで円安が進んだ(その後反転して、本稿執筆時点で1ドル137円)。化石燃料のほとんどを輸入に頼る日本にとって、世界的なエネルギー価格の高騰は貿易赤字を引き起こし、日本の富が流出することを意味する。