ミラノ生まれミラノ育ちの日本人女性で、クリエイティブ・コンサルティングエージェンシー「Wakapedia」を経営するSara Waka(以下、サラ・ワカ)は、まさに「世界で活躍する日本人」の一人と言える。
本業は経営者、クリエイティブ・ディレクターであり、これまでドルチェ&ガッバーナやピアジェ、ニンテンドー・イタリアなどと仕事をしてきた。また、クリスチャン・ルブタン、ジョルジオ アルマーニからは、プロモーションビデオのモデルとして起用されるなど、タレントとしてのキャリアも持っている。
未曾有の出来事が続くいま、「夢」を見ることを忘れてしまいそうになる人も多いのではないだろうか。そこで今回は、世界で活躍するサラ・ワカに挑戦の軌跡を辿りつつ、逆境の中でも「夢を叶える方法」について聞いてみた。
アジア人として受けたいじめ 高校では落第も経験
日本人オペラ歌手の両親のもと、ミラノで生まれ育ったサラ・ワカ。アーティストの両親につれられて、幼い頃から音楽、絵画、その他アート作品など、幅広く芸術に触れてきたこともあり、将来は「ものづくりをしたい」という漠然な夢を持ち続けてきたという。いまやアートディレクターやタレントとして日本とヨーロッパをまたにかけて活躍するサラ・ワカだが、幼少期から順風満帆な人生だったわけではなかった。
「最近ではダイバーシティという言葉が世の中に浸透しつつありますが、当時はアジア人であることが理由で小学校ではいじめを経験し、高校はイタリア語を完璧に習得できていなかったことで落第したほど、プライベートでも学業でも苦労がありました。もちろん両親もずっと心配していました」。思春期には特別楽しい思い出はないものの「タフさ」を手に入れたと語った。
クリエイティブで花ひらく 2人のキーパーソンとの出会い
義務教育は苦労したものの、高校から大学にかけてはイタリア語をほとんど完璧に習得した。同時にサラ・ワカは、持ち前の好奇心で交友関係も広めていった。
「幼い頃から自信なんてありませんでしたが、18歳の頃に出会った先輩のジュリア・ビゾンとの出会いで人生が変わりました。よく勉強を手伝ってくれたのですが、彼女がクリエイティブ・エージェンシー「Motel409」を経営していたことがきっかけに、インターン生としてクリエイブディレクションを学ぶことになりました」。現在サラ・ワカが本業とするクリエイティブの魅力にはじめて触れた瞬間だったという。
のちにジュリア・ビゾンは、サラ・ワカが経営するクリエイティブ・エージェンシーWakapediaのメンバーになる。
マウリツィオ・カテラン
もう一人、彼女の背中を後押しした人物がいた。世界で最も有名なコンテンポラリーアーティストの一人、マウリツィオ・カテランだ。当時ニューヨークとヨーロッパを行き来していたマウリツィオ・カテランと大学時代にミラノで出会ったとサワ・ラカは振り返る。「マウリツィオ・カテランは、広告とアートが融合した雑誌『トイレットペーパーマガジン』を手掛けたアーティストです。アートを広告に入れるこむ美しさと面白さを学んだほか、私の存在を『ユニーク』だと言ってくれたました」
人々との出会いから、サラ・ワカの夢は「ものづくりがやりたい」から、「広告づくりがやりたい」へと変わり、2013年にWakapediaを立ち上げることになる。