日本が参加する初めての万博だった。幕末の混乱期で、薩摩藩は幕府に先んじてパリに入っていた。それにしても、現在では考えられないような「見世物」ではある。ただし、同時に出展された浮世絵や陶磁器、精巧な工芸品の数々は、欧米文化に大きな影響を与えた。
パリ開催の万博は2回目であった。万博で先んじていたロンドンは、大英帝国の繁栄と産業革命の成果を誇示し、視察に訪れたフランス政府関係者を驚愕させ対抗心に火をつけた。当時のフランスは、大革命以降の政治的な混乱や戦争により、英国とは国民生活のレベルや科学技術の発展レベルで大きな差をつけられていた。
ここで登場したフランスの思潮がサン=シモン主義といわれるものであった。サン=シモンは大革命前後を生きた思想家であるが、軍人として米国独立戦争に参加し、帰国後は実業家として大きな財を成したものの、晩年は貧困に身をやつしながら思索活動に専念するという、波瀾(はらん)万丈の生涯を送った。
その教義は一筋縄で解釈できるものではない。人によっても理解にかなりの違いがある。マルクスたちは、これを空想的社会主義と位置付けたが、産業組織の確立と自由貿易など、市場主義的な色彩も濃い。パリ万博はこのサン=シモン主義によった。
端的にはインフラの整備、金融仲介機能の重視、人材教育への注力を柱にした、ある種の啓蒙運動として万博を位置付けた。自由貿易の重要性も強調された。
どこか、「新しい資本主義」を彷彿とさせる。パリ万博当時のインフラは鉄道だったが、現在なら半導体やデジタルネットワークだろう。金融は、銀行から市場へ、だろうか。人材教育は、当時もいまも職業教育の重要性が強調されている。
ナポレオン3世が、サン=シモン主義を支持したことも、パリ万博成功の要因であった。自身の政治的思惑にもかなうものと考えたようだ。
社会保障に配慮しつつ、自由競争と人、モノ、お金の自由な取引、これらの国際的な循環を通じて、フランスの産業近代化と国民生活を向上させて国威を上げる。そのプロパガンダがパリ万博だった。フランスの国是を「見える化」したものが万博であり、来訪者にとってわかりやすいイベントとなった。