「余裕がある人しか気候変動に目を向けられない」という意見は本質を捉えているが、過激化して「デモは富裕層の遊び」「自分でお金を稼いでから言え」となってしまうと本質からかけ離れてしまう。いずれにせよ気候変動は早急に解決しなければならないため、矮小化してしまわないように気をつける必要がある。
高校生のデモが炎上
2021年10月31日〜11月13日、イギリスで気候変動に関する国際会議「COP26」が開催されていた時期に、日本でも若者たちが石炭火力の早期廃止を求めるデモを行っていた。
あるメディアが、活動に参加していた高校生の「これ以上の豊かさはいらない」という発言を取り上げたところ、Twitter上で多くの非難が集まった。約1年前の話だが、より気候変動が深刻になっている今、この炎上騒動が起きた原因を改めて整理したい。
「豊かさを享受している側だから」は正しいか
批判は「照明のない生活に耐えられるのか」「スマホを手放せるのか」「車や電車がなくなってもいいのか」など、ほとんどが豊かさの重要性に対する認識の甘さを指摘するものだった。
実際、世帯年収の高さと気候変動への関心の高さにはある程度相関があるし、Twitter上で指摘されているものを豊かさとするならば、どれも今の時代には必要不可欠だ。
しかし、高校生が真に伝えたかったのは、豊かさは必要ないということではなく、裏で進行している環境破壊にも目を向けるべきだということではないだろうか。
「豊かさ」とは
発言の真意は当事者である高校生にしかわからないが、筆者は非難している人たちと「豊かさ」の解釈にズレがあるように感じた。
おそらく意図するところは「これ以上いらない豊かさ=贅沢」であり、むしろ一部の人々や国に偏在している富を、世界中にまんべんなく広めようという、社会的弱者に寄り添った考え方といえるだろう。
恵まれていることを自覚しているからこそ、右肩上がりの成長ではなく繁栄を訴えているのではないだろうか。
社会運動のイメージが悪い日本
非難が殺到したもう一つの理由として、日本における社会運動のイメージが悪すぎることが挙げられる。
日本には「デモ=過激なもの、感情的で根拠のないもの」という風潮があるが、科学的な根拠に基づいた社会運動も多く存在する。すべてのデモが正しいとは決して思わないが、偏見で非難している人は一定数いるだろう。