「従業員インパクト会計」も実践
さらに、柳は、従業員に支払う給与がどれだけ社会に役立っているかを示す「従業員インパクト会計」も実践した。同会計は、米ハーバード ・ビジネス・スクールの「インパクト加重会計イニシアチブ(IWAI)」が提唱する会計手法で、企業がつくり出すインパクトを組み込んだ財務会計の枠組みを構築しようとしている。その日本企業初の実践例となった。
その結果、エーザイの国内部門の2019年の人件費358億円のうち、プラス・マイナス両面の影響を差し引きして計269億円の社会的インパクトを生むことが明らかになった。この社会的インパクトを人件費で割った「人材投資効率」は75%で、メタやスターバックスさえもしのぎ主要な米国企業平均の50%前後を大きく上回ることがわかった。そして、エーザイのEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)の44%にも相当する。
また、世界保健機関(WHO)を通じたリンパ系フィラリア症治療薬の無償提供についても、インパクト加重会計で測定した。14〜18年の5年間で16億錠の薬を途上国25カ国に配布し、数千万人以上がフィラリアを発症しなかった、あるいは重篤にならなかったことによるライフタイムの経済効果は7兆円に上ることがわかったという。
1年あたり1600億円の社会的インパクトがある。それはエーザイの年間EBITDAに相当する。単純に上乗せすれば、企業価値の源泉は倍増する計算だ。
「具体的な数値で『見えない価値』を定量化することで、その重要性への理解が得られる」
こうした一連の分析結果や研究論文は、米大手運用会社ブラックロックや、野村アセットマネジメント、三菱UFJ信託銀行など、国内外の投資家から学界まで、大きな反響があった。同時に、柳氏は、最高経営責任者(CEO)や社外取締役といった幹部のほか、人事部や労働組合、担当部門など社内にも共有し、投資家だけでなく従業員らとの対話にも用いた。
「自分たちの取り組みを通じて、企業価値が上がっていることが実感できれば、社員のモチベーションも高まる。さらに企業価値が上がり、魅力を感じて投資してくれたり、就職・転職先に選んでくれたりする人も増える、という好循環が期待できる」
「柳モデル」は現在、KDDIやNEC、日清食品といった国内大手企業でも相次いで採用されている。すでにエーザイだけのものではなくなった。
「ESG専門家と見られることが増えたが、企業の『見えない価値』を定量化することは、(5年前のインタビューで答えた)『企業価値の創造者』『企業価値の番人』『株主価値を担保・拡大していく受託者責任の要』『すべては企業価値の向上のために』というCFOの信念からまったく変わっていない。これからは柳モデルを広め、日本発のベストプラクティスを出していきたい」
エーザイCFO退任後も、柳の実践、研究の歩みがやむ気配はない。
やなぎ・りょうへい◎早稲田大学大学院会計研究科客員教授。アビームコンサルティング エグゼクティブアドバイザー。エーザイ専務執行役CFO 等を歴任。Institutional Investor誌の2022年機関投資家投票でヘルスケアセクターのthe Best CFO第1位(5回目)に選出される。