仲間が離れていく痛手を負って
──起業してからの約5年でたくさんの困難があったかと思います。例えば、どのようなことがありましたか?
どれを具体例に出そうか迷ってしまうほど、本当に困難が多かったです(笑)。
事業が軌道に乗っていないときというのはもちろん深刻な悩みどころですが、最も頭が痛かったのは人間関係でした。
仕事に追われているとコミュニケーションが行き届かないことが多く、そんな時に仲間が去ってしまうことがあり、それが一番つらく感じました。チームとして事業をやっていくというのがどういうことか腹落ちしたのは5年目になってのことでしたね。
──「想いがとても強くて何事にも一直線、そのぶん譲れないことも多い」というのが石川さんの長所でもあり短所でもあると聞きましたが、そういったことが仲間の離脱にも影響しているのでしょうか。5年目で腹落ちしたと言っていましたが、どのようなチームづくりの変遷があったのですか?
初期の頃は一人で起業した心細さもあり、「仕事の依頼や相談をする」というよりは「傍にいてもらって一緒にやっていく」という感覚で仕事をしていました。ですから理念やビジョンがまったく定まっていませんでした。
仲間に未来図を見せながら共にやるということができていなくて、とりあえず目の前のことをやっている状態でした。これでは社内の士気も上がっていかないし、仲間が離れて行って一人になるのが怖いから何もできないという悪循環に陥っていました。
中期になってくると、大事なのは、同じビジョンを持つ仲間をどれだけ集められるかだということが分かってきました。会社としても、どのくらいの人数をどのフェーズで入れていくかを考えるようになり、採用する人間がどれだけ想いに共感してくれるかを重要視できるようになっていきました。
とはいえ、それでもがむしゃらなことには変わりなく、人数は揃っていたものの、会社のビジョンや未来を語る機会は圧倒的に少なく、実質ひとりで未来を妄想して一人で頑張る、というような状態でした。
そのような状態で仲間が離れていくという痛手を負い、そこでようやく「しつこいくらいに自分の言葉で『会社としてこういうことをやりたい』と伝えていく必要があるんだ」と、身をもって知りました。
2.5haーサッカーコート3面分程のみらい畑の農場。現在9名で管理している
チームで仕事をする大切さ
──根っこの部分に共感してもらうことによって、これまで石川さん一人で未来をつくっていたみらい畑が、「みんなで未来をつくる」というフェーズになったのでしょうね。その遷移のきっかけは、やはりその仲間が離れていったことだったのですか?
はい、メンバーと腹を割って付き合うことができず、人が離れてしまったということが本当に大きかったです。私としては一緒に頑張っているつもりだったのですが、頼られてない、必要とされていないと思われてしまったようでした。
メンバーと本音で話す場を設けたり、時には弱音を吐いたりということも必要だといまなら分かるのですが、当時は「迷惑をかけられない、気を遣わせてしまう」という気持ちから全て一人で抱え込んでしまっていたのです。
「このままでは同じことを繰り返してしまう。私が変わらないといけない」と痛感し、意識的にメンバーとコミュニケーションをとることを始めました。