大宮:鳥取大学附属病院の院長から、「病院にいる人たちの心を豊かにしたい」から、院内の壁にアートを描いてほしいと依頼されたこともありました。
鳥取なので、地域を象徴する大山(だいせん)でも描きましょうかと話したところ、「そうじゃない。リゾートなど、鳥取を感じさせない絵を描いてほしい」と。というのも、痛みを抱える患者さん、コロナ禍で多忙な医療従事者の心を癒し、「ここどこ? 行ってみたい」と痛みをそのとき忘れちゃうようなものにしたいから、ということでした。
そんなわけで、建築家のジェフリー・バワが考案したスリランカのインフィニティープールを描いたのですが、院長の見立ては当たり、入院されている方も医療従者の方も喜んでくれました。ある夜、一人の患者さんが絵の前でぼーっとされていたり、「絵を見て風を感じました」と言っていただけたり。ウェルビーイングとアートのひとつの形になったと思います。
鳥取大学附属病院に描いた「とりだい病院 ホスピタルアート」(写真=大宮エリー)
谷本:アートには、個人が得られる幸福の余白が無限にありますよね。
大宮:ほかにも、コロナ禍でテナントが空いてしまった商業施設から、「次の店が入るまで、家族連れも楽しめる動物の絵で壁を埋めてくれないか」という依頼を受け、絶滅危惧種を描いたこともあります。アフリカゾウやシロクマなど、あまり絶滅危惧種だと知られていない動物を作品にし、見る人が気づきを得られるというのも、ウェルビーイングかもしれません。
齋藤:エリーさんの話を聞いていると、今後はやはり「心の時代」が来るのではないかと思わされます。
最近、瀬戸内の犬島(岡山県)にあるエリーさんの作品を見に行ったんです。そこで、エリーさんの作品を使って遊んでいる子供たちの姿を目の当たりにしました。
INUJIMAアートランデブー(写真=大宮エリー)
大宮:わあ、ありがとうございます! 地元のおばあちゃん、おじいちゃんが葉っぱに座っておしゃべりしていたりもして、来島者と地元の方の交流の場になっています。
齋藤:モノがあふれる今の時代において心が満たされるというか、その一端を見た思いでしたね。アートの作品ですし、誰かが監視しているだけではない公園のような空間で、「子供が遊んでけがをしたらどうするんだ」という意見もあったのではないかと思います。
ただ、そういったハードルを越えていけるのがアートで、実際に子供たちが遊んでいる姿を見ると、今盛んに言われているダイバーシティ&インクルージョン、多様性や寛容性の面でも多くの意味があったと思います。
それに地域経済の観点では、空き地や空き家を活用しようと思えば、何かを新しく建て直しがちですが、エリーさんのオブジェは今までとは異なる活用ではないかと。不易流行という言葉のように、大事なものは大事なものとして守り、変えるとこは変えるという、時代性も感じさせられました。
谷本:ウェルビーイングとアート。エリーさんは作品をつくるとき、どこにベクトルを向けているのでしょうか。
大宮:私は、“場づくり”という考えで作品を作っています。おカネのためではなく、作品があることで雰囲気がよくなったり、交流が生まれたりするといいなと思いながら作品づくりをしています。
齋藤:非常に共感します。僕は宮崎県の新富町という、人口1万6000人ほどの町の地域創生に関わっているのですが、小さな町だからといって一流の作品に触れられない現状を変えようと、書道家の武田双雲さんにロゴを書いてもらい、通学路に張り出しました。これは、アート作品を飾りたいというより、新しい風景や場を作りたいという思いでした。
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大宮:私が奄美大島の図書館に描いた壁画も、まさに場作りのためでした。依頼主はアートコレクターで、自身の別荘を開放して子供たちのための図書館にするという構想を抱いていました。
「カラフルで奇抜な絵もいいかな」と考えましたが、場作りとするなら……と、森やジャングルが頭に浮かび、奄美大島の原生林であるヘゴシダや奄美の固有種を描きました。天然記念物のルリカケスも。ヘゴシダのジャングルの中なのに冷房がきいた部屋で集中して本が読めます。絵をきっかけに、奄美の自然の素晴らしさを改めて話したりできるように、という思いを込めました。
谷本:人が集まるということが、アートと地域経済の共通項と言えそうです。
齋藤:仮想空間が話題に上がる現代では、もはや物理的な距離はあまり意味がなく、心の深いところでつながれる共感が、より重要度を増していく気がします。その共感がどれだけ多く増えるかが、ウェルビーイングでも大事にすべきことかもしれません。
谷本:横文字で欧米的なウェルビーイングですが、これをあえて日本的に考えると、どういった要素が重要になるのでしょうか。
大宮:禅の思想をはじめ、そもそも日本文化はウェルビーイングの要素が多く含まれていると思います。床の間は、家にあるミュージアムですからね。
齋藤:僕も同じ意見です。ウェルビーイングという言葉自体は英語ですが、自分たちが備えているモノを見直す必要があるのではないかと思います。
その意味で僕自身が重要視しているのは、地域の神様にあたる氏神様ですね。毎朝5時に起き、7時から地元の氏神までランニングでお参りし、戻ってきてから仕事にとりかかります。
谷本:そういった身近にある幸せを、ウェルビーイングだと気づくにはどうしたらいいでしょうか。
大宮:自分と向き合う時間を作れるかどうかだと思います。もしも今まで自分と対話してこなかったのであれば、「お風呂のお湯は熱い方がいいか、ぬるい方がいいか」「こしあんとつぶあん、どちらが好きか」といった、小さなところから自分とコミュニケーションを取る習慣をつけるのがいいのではないでしょうか。
齋藤:やはり、自分の感情や情動に従い、「want to」で生きていくことが、重要な解決策になりそうです。個人的には、エリーさんに会えたことが、非常にウェルビーイングです。僕も絵を描いたり、詩を書いたりしているので、今後はよりウェルビーイングの機会を提供していきたいですね。
大宮:私みたいになりたいともおっしゃってもらいましたが、楽しい生き方ではありませんよ(笑)。そして、ウェルビーイングも決して楽しいことではないと思っています。苦しく大変な面もあるものの、嫌ではなく、やりがいもある。感覚としては満たされているという状態と言えるかもしれませんね。