ツイッター買収劇の犠牲者はイーロン・マスクではない、私たちユーザーだ

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そう、これではすべてが変わってしまいかねない。私たちは、単にコンテンツに目を留めてもらうという話をしているのではない。フォロワー数を増やす努力や、ソーシャルメディアプラットフォームが好まれていると投資家を納得させるための努力の話でもないのだ。また、言論の自由や、真実でフィルターなしのコンテンツを投稿する機能に関する話でもない。そのような「ユーザー」は誰も重要ではなく、私たちもすでにそれを知っている。重要なのは、クリックして購入するユーザーだけなのだ。

もしそれが本当なら、私たちはユーザーであることの意味をまったく変えてしまったことになる。

この問題の核心は、イーロン・マスクやツイッターや内部告発者についてではない。アテンションエコノミー(例えば、私たちのアテンションに基づくビジネスモデル)と、クリックし購入する人だけが真のソーシャルメディアユーザーである、ということだ。

私は「ユーザー」という概念が、必ずしもお金を払う顧客や、熱心な顧客でなくてもよかった時代を覚えている。コンピュータ技術において、ユーザーとは製品を使用する人のことだった。それだけだ。最近では、プラットフォームは革新的であろうとし。注目を集めようとしていると考えたい。しかし、ユーザーのマネタイズは、ソーシャルメディア企業がクリック以上のことをする人々をターゲットにしていることを忘れがちである。彼らはテック企業へお金を支払う。それだけだ。それがすべてだ。

そこで本当の問題は、それについてどうすべきかということだ。

私たちはスパムボットやイーロン・マスクなど、さまざまなドラマに注目している。私たちが本当に注目すべきは、テクノロジーにおけるマネタイズとコンシューマライゼーション(本来消費者向けの製品が企業向けとしてビジネスに浸透している状態)が、しばしば何も良いものを生み出さないということだ。私はラスベガスに行ったことがある。あれは美しいものではない。

私の考えでは、ソーシャルメディアが本当に生き残れる道は、脱中心化された場合のみであり、ユーザーを単なるお金として定義する方法を変えるメガコーポレーションから離れ、我々のニーズを満たすすばらしい製品作りに戻る場合のみだ。

ユーザーとは、製品によって恩恵を受け、楽しむ人であるというモデルに戻らなければ、うまくいかない。それこそが、ユーザーが勝利する唯一の方法なのだ。

forbes.com 原文

編集=Akihito Mizukoshi

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