経済・社会

2022.09.25 08:00

【対談】伊藤穰一×野田聖子「失われた30年」の打開策はある!


多様な人たちがいられない職場をつくって排除してきたし、自分たちの多様性やそこから生まれてくる宝を否定してきた国だから、縮小していくのは当然だ。非常に合理的な斜陽だ。「自分たちが選んできた道」じゃないかと思う。

──ASDや発達障害の子どもの教育についての現状は。

伊藤:最近の研究からわかってきたのは、精神的に安定していて、自分に自信をもてる環境にいないと学びはできないということだ。軽蔑されない、いじめられない、安全な環境で幸せに生活できる状態でこそ、学びができるようになる。学校でいじめられて、親も恥ずかしがっていたら、子どもも不安になって、学びができない。結局、発達障害とは、学び方がユニークな子どもがきちんと学べない環境の問題でもある。

日本の教育は非常に標準化されているが、学び方を多様にすることで、幸福になれたり、自分の得意分野を応援してもらえる子が出てきたりする。そうするといままでは発達障害で終わっていた子が天才的になったり、天才じゃなくても自分なりの学びの道が見つかったりする割合が増えることがわかっている。

野田:息子は3つの障害がある。一つは知的障害。もう一つは右まひという身体障害。三つめは呼吸器障害。人工呼吸器を使うので、医療的ケアが必要だ。3つも障害があるので孤立しがちになる。日本の教育では、なぜか視覚障害、聴覚障害、身体障害というふうに区分けが重視される。ASDは教育の場面では知的障害に入れられる。「普通」のことができないので知的障害になる、という理屈だ。

子どものできることを伸ばすよりも、できないことで区分されてしまう。日本では長年、ノーマライゼーションといって普通の子と同じようにすることが正しいとされてきたが、その子にはその子の持ち味がある。うちの子は100m走もビリで、読み書きも算数もできない。でも歌を覚える能力に長けていて、イントロを聞くとフルコーラスを歌える。

それをいまの教育は一顧だにしないし、伸ばそうとしない。彼の歌で多くの人が感動するけれど、社会に出ると字が書けないことばかり言われる。

伊藤:日本の分けてしまう文化はすごく変だ。障害のあるなしで分けてしまうと、みんな同じような人しかいないと錯覚してしまう。同じような人しかいないと思い込んでいると、自分も普通だと錯覚しているので、ちょっとずれているだけで不安になってしまう。そういう人を育ててしまう。

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構成=成相通子、岩坪文子

この記事は 「Forbes JAPAN No.099 2022年11月号(2022/9/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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