MIT(マサチューセッツ工科大学)での経験などから、一人ひとりの神経回路の多様性を重視し、自閉スペクトラム症や発達障害もひとつの個性としてとらえる「ニューロダイバーシティ」の認知を広める活動を行う伊藤穰一と、8月までこども政策担当大臣としてこども家庭庁創設を主導、障害をもつ11歳長男の子育て中である野田聖子。
実は以前から知り合いだというふたりに自身の経験をふまえながら縦横無尽に語ってもらった本誌掲載の対談記事を、一部抜粋掲載する。
──なぜいまニューロダイバーシティの考え方を広めようとしているのか。
伊藤穰一(以下、伊藤):自閉スペクトラム症(以下、ASD)の啓発活動をしている著名な動物学者で、自身もASDのテンプル・グランディンは「人類のほとんどの発明は自閉症の人によるもので、自閉症の人がいなければ、我々はいまだに火もなく、洞窟の中で生活していただろう」と話している。
歴史を振り返ってみても、ASDの天才は多い。ただし、すべてがそうではないし、いまの社会でうまくできない人もいる。歴史上、ASDの人にとってよい時代もあれば、悪い時代もあったが、最近の近代社会はASDの人たちにとってすごく不幸な世の中だった。
産業革命後の大量生産の時代では、言われたことを同じようにこなす「普通」の人間が求められてきた。それに合わせて、教育も人生の成功の測り方も平均化された。しかし、実は「普通」の人間なんていないし、さまざまな要素でみんなそれぞれ違う。パターン化された教育に合わなくて精神的に不安定になったり、社会に出られなくなったりする人も多い。
これが、情報化社会になると同じことをする人は要らなくなる。ひとりのアイデアから、コラボレーションが起きて情報がシェアされる。クリエイティブな社会では、違いを増進することが重要になる。
アメリカでは、ASDの人たちが自分たちの権利を主張し始めて、それぞれにふさわしい教育や仕事へのアクセスがよくなることで、彼らも社会貢献できる場が広がってきた。日本は遅れているが、これからムーブメントを広げていきたい。ニューロダイバーシティという考え方を取り入れることは社会の競争力にもなるし、フェアネスにもつながっていく。
画一性を求めた結果、縮小が進む
野田聖子(以下、野田):日本でも実は自閉症という言葉は古い。かつてASDの方たちは診断を受けても学校や地域の理解、法的な支援がなくて困っている人が多かった。私が起案し、2004年に発達障害者支援法が成立、2005年に施行された。
その時不思議に思ったのが、発達障害という特性をもっている人を生きやすくするための法律を保護者や専門家が求めているのに、省庁はやりたがらなかったことだ。「日本の失われた30年」なんて言っているが、要は画一的なことしかしなかったから、イノベーションが生まれてこなかった。大企業はいまだに年功序列と終身雇用を保っているし、官僚も硬直的な人事制度に縛られている。