縁の下の力持ちである生産者が一所懸命に作った食材を、アイデアと楽しさが詰まった料理に仕立て、お客様に提供する。客は改めて、その素材の魅力に気づき、時に口づてに喧伝してくれる。
「これは、単純に生産者が継続して野菜を作っていくための経済的な後押しとなるだけでなく、僕らが旗をふることで、野菜の素晴らしさを“誇り”として生産者に返すことができる。それこそがシェフである私やレストランの存在意義だと思っています」
現在「アコルドゥ」で使っている素材は、魚介を除くと9割は奈良産。開店時から15年かけて、土地に根ざした料理を究め続けてきた。
その実、川島氏は東京の下町の生まれで、子供時代は季節感や旬の食材をあまり意識せずに過ごしてきた。いわゆるふるさとという感覚がなかったと言う。京都・東京の一流ホテルで修業する中で、奈良出身の奥様と結婚した。
務めていたレストランはフレンチだったが、当時、世界を席巻していたスペイン料理の自由さに惹かれ、スペイン・バスク地方の二つ星「ムガリッツ」に手紙を書き、スペイン語もままならないまま飛び込んだ。
そこで学んだことは、どんなに先端の料理であっても、トラディションの上に成り立っているということ。バスク出身のアンドーニ・ルイス・アドゥリスシェフの、土地や風土を何より大切にし、常に後ろを見ながら前を見るという姿勢が、自分の中での料理の礎になったという。
帰国後、いざ出店という段階で、東京は眼中になかった。関西圏を考えたが、当時、大阪には「Fujiya1935」、神戸には「カセント」というスパニッシュの名店があった。大阪、兵庫、京都、ときに奥様と自転車で走り回りながら物件を探し続けた。ふるさとを作りたいという気持ちもあったという。
3年もこれはという出会いがなかったのに、突然、築100年のレンガ造りの建物を紹介された。扉を開けて入ると、別世界に連れてこられたように感じる物件に、どこかムガリッツを思い出させるものがあり、即決した。それからたった3か月で開店と、無我夢中の日々を過ごした。
正直、その時点では奈良の食材のポテンシャルもわかっていなかったそうだ。ただ、農家の人が野菜を持ってきてくれて、また別の生産者を紹介してくれて、と、食材のバトンリレーのようにつながりができていって大変助けられたという。
「奈良というのはコンパクトなだけに、生産者同士のつながりがとても強いんですね。養豚農家がお茶の生産者とも仲がいい、と言った具合に。日本全国いろいろまわりましたが、ヨコのコミュニケーションがこれだけとれているところはなかなかありません。私も暇さえあれば生産者を訪ね、ネットワークを増やしていきました」
そして、9年後、東大寺旧境内跡、若草山に立つ一軒家に居を移した。ダイニングへ向かう通路の右側には、宇宙船的ともいえる厨房がガラスごしに広がり、これもまたムガリッツを彷彿とさせる。ダイニングからは庭が一望にでき、またとない環境だ。
ところが、これだけの建築の中で、最先端の料理を食べさせるコースが、夜で1万3000円とリーズナブル(11月に値上げ予定)。川島氏は、「取材を受けるたびにもっと上げた方がいいですよと言われます」と笑いながら、奈良愛をのぞかせる。
「でも、地元のお客様を大切にしたいんです。奈良に助けられて、今までやってきましたから。現在お客様は県外の方とちょうど半々くらい、一番いいバランスだと思います。ムガリッツも私のいた当時は、ディナーコースが100ユーロくらいでした。だから、地元バスクの親父たちが、楽しそうに飲み食いしているんですよ。そんなレストランが理想です。
生産物のクオリティの高さだけでなく、もう一つ、奈良が素晴らしいのは、行政との連携がとてもいいことです。もうすぐ、こんな野菜が出始めるよ、などという情報をこまめに流してくれるのです。行政、生産者、表現者の3者のバランスがとれている。他県でもぜひ、こうした取り組みがなされたらいいのにと思います」
根深と椎茸
行政が大切にしているものに、奈良の伝統野菜もある。今の時期なら大和丸茄子、夏にはひもとうがらし、冬は大和まな、結崎根深……。全国区の知名度はないが、その分、希少性や個性は強い。だから、川島氏も、意識してメニューに組み込んでいるそうだ。
年配のお客様は、懐かしいねと喜んでくれるし、若い人も、味の決め方が面白ければ、興味を持って食べてくれる。奈良の人は伝統野菜を、例えば加茂茄子のように全国区にしようという欲がないのだそうだ。それでも、東京に出荷し、東京のレストランで使っているというと、すごく喜んでくれるという。