科学論文誌PLOS ONE(プロス・ワン)で発表された最新研究によると、人生の意義を探すことは、犠牲に満ちた険しい道のりであり、究極の目標は人を助けることかもしれない。
「私は実存主義の宗教哲学者の著書を読んで、人は基本的に他人との前向きで役に立つ関係を通じて人生の意義を感じるものだという仮説に興味をもちました」と共著者であるオーストラリア、クイーンズランド大学のブロディ・ダキンは説明する。
「具体的には、人生の意義を求める人々は、犠牲の大きい、あるいは困難な、社会性のある行動をとることに魅力を感じ、それはそのような行動が最も意義深いと思えるからだろうという仮説を立てました」
ダキンの研究は人生の意義を、目的と重要性と一貫性に対する個人の感覚を組み合わせたものであると定義している。3つの要素のうち、ダキンが彼の仮説で最も重視しているのが重要性だ。それは、人が感じる人生の重要性は、自分の人生が他人の人生に有益な影響を及ぼす程度に応じて決まるからだという。
この仮説の妥当性を検証するために、ダキンの研究チームは、他人の幸せを高めるための痛みや努力、資源支出を伴う一連の実験の中で人々の行動を観察した。
実験結果は、意義を探す行為は他人の幸せを高めようとする意志と明確に相関していることを示した。そして、その行為が困難で痛みを伴うものであればあるほど、そこに意義を見出す可能性が高くなる。
「異文化を通じて存在する最も意義深い行動、たとえば、 英雄的行動、親であること、教育、職業的成果、文化的儀式などを見てみると、そのほとんどが、痛みであれ、エネルギーや時間、資源の支出であれ、その他の犠牲であれ、明確な犠牲の要素を伴っていることがわかります。」とダキンは語る。
犠牲と努力を伴う社会的行動が意義深い理由は、それを成し遂げたときに達成感と自尊心につながるからでもあるとダキンはつけ加える。さらに、他人のために困難な努力をすることが社会的な繋がりを促し、それが生きがいの強力な源になることも理由の一つだという。