困難と言われたミドリムシの屋外大量培養技術の開発にも成功し、2012年に上場。大きな話題となりました。しかし、私がかつて出雲さんにインタビューを行った時には「自分が起業することになるなど、実は想像もしていなかった」と語ったのです。
原点は大学1年生で訪れたバングラデシュ
「サラリーマンの父と専業主婦の母。3階建ての建物がずらりと並ぶ大きな団地で育ちました。周辺には個人商店がほとんどなく、自営業を知る機会もなかった。だから、働くといえば、サラリーマンになるか、公務員になるか、の2択だったんです」
海外に行ったことがなく、思い浮かんだのは国連職員。そして世界の飢餓問題を解決することが、高校時代に思い描いた未来だったといいます。
「でも、何ひとつ想像した通りにはなりませんでした。振り返って思うのは、あまり考えてもしょうがない、ということです。なんでもいいから、やってみないとわからない。いや、何も考えずに動いていったほうがむしろいい。私は、それで今に至っているだけですから」
実際、出雲さんを変えたのは、ひとつの行動でした。大学1年生の夏休み、気になっていた飢餓の現場を見に行くことにしたのです。選んだのは、バングラデシュ。理由は、アフリカよりも予防接種の数が少なくて済んだから。
飢餓と貧困の国のイメージで、出雲さんはお腹にたまりそうな日本の食品をスーツケースにたくさん詰め、現地で配ろうと考えていました。ところが、現地では、食べ物がなくて困っている人など、いなかったのです。
「それどころか、憧れの国連のマークをつけたカンパンの缶が山積みになっていました。誰も食べない。でも、缶は水を貯めるのに使えるので、中身を捨てて缶だけ使われていました」
現地では、米や芋、トウモロコシなどの炭水化物はたくさんあるもののそれ以外の栄養素が決定的に欠けていた。ビタミン類やたんぱく質などが不足して、多くの人が栄養失調になっていたのです。
これこそが、世界の食糧問題の本質でした。出雲さんは、自分の目で見たからこそ、この本質に出会えたのです。そして、ビタミン類やたんぱく質、ミネラルを含んだ、栄養価の高い食品を探し求めます。そして出会ったのが、ミドリムシだったのです。