この場所は、トヨタが創業した時から「所作」にしている「現地現物」の意味がわかる場所でもあった。トヨタ・グループの原点とも言える、発明王の豊田佐吉が生み出したG型自動織機が展示してあり、社長の豊田章男は、この発明品の意味を私たちに説明し始めた。
「当時、この職場環境はたくさんの綿埃が蔓延し、肺が侵されてしまうなど従業員が苦労していたんです」。豊田は織機の杼(たて糸に通すために、よこ糸を収めた舟形の部品)を手に持ってそう言う。
このG型自動織機は、高速運転中にスピードを落とすことなく杼を交換してよこ糸を自動的に補給する自働杼換装置と呼ばれる機能が組み込まれている。
例えば、杼の糸がなくなって新しい糸を通す時に、以前は、綿埃がたくさん舞っている中で従業員たちは杼の中の空洞を思いきり吸って糸を通さなければならなかった。その時に綿埃まで吸ってしまい、当時、肺を患う恐れがあった。G型織機は、自動的に糸が切れると新しい糸を補充するからくりになっていて、佐吉が獲得したのべ60を超える特許のうちの一つだ。
豊田は織機の側に立って話を続けた。「これらの特許は『現地現物』で生まれたものです。佐吉はここでこのように立って、みんなが困っているのを見て、それを改革しようというのが原点だったのです」。
佐吉は、現場で働いている人たちにどのようなニーズがあるのかを、実際に自分の目で見て知り、それが発明や特許につながった。まさしく「現地現物」から作られた機械だったのである。そして、これらの自働装置は「自動」ではなく、人べんが付いた「自働」なのだと豊田は説明した。つまり、働く人を楽にする自働化だ。
トヨタの原点「報徳仕法」とは何か?
この自動織機はトヨタの創業の原点を残しているだけではなく、トヨタに限らず、実は日本社会のルーツとも言える「思想」が背景にある。豊田佐吉をはじめとした多くの起業家に影響を与えたのが、明治時代に大ブームになった「報徳仕法」である。自動織機も「報徳仕法」の影響で生まれたものだ。では、「報徳仕法」とは、どのような考えなのか。
もともと報徳仕法とは、江戸末期に農村復興に尽力した農政家の二宮尊徳の教えだ。尊徳の「徳を以って徳に報いる」という考えは、社会のために創意工夫を役立てていくという考えである。
日本が新しい国づくりをめざしていた明治時代に、報徳仕法は当時の若いリーダーや事業家の間で大きなブームとなる。日本資本主義の父と称された渋沢栄一や真珠の養殖で成功を収めた御木本幸吉も尊徳に感銘を受けたと言われている。そして、佐吉もこの思想に影響を受けた一人だ。そして、その教えを彼なりに体現したのが豊田自動織機という発明だ。