中国の人たちが世界に進出した4つの時期
それにしても、世界各地でこれほど中華料理が食べられているのは、多くの移民たちが海外で暮らし、その美味しさが広く世界の人たちに受容されてきたからだろう。
海外に行くと、多くの都市にチャイナタウンがある。横浜や神戸の中華街がそうであるように、そこには中華レストランや食材、物産を扱う商店が並んでいる。一説によると、在外中国人は5000万人とも言われている。
カナダのモントリオールのチャイナタウン
中国の歴史を振り返ると、多くの人たちが出国する時期と鎖国に近い時期がある。前者は主に4つの時期に集中しているとされる。
まず8世紀から9世紀、唐の時代の末に起きた黄巣の乱で中国南方の都市が破壊され、多くの人々がさらに南方に逃れたことを当時のアラビア商人が記述している。
第2の時期は16世紀後半、倭寇に手を焼き、長く鎖国政策を取っていた明朝が東南アジア方面への渡航を解除し、多くの商人が南方へと渡った。同時代の日本人としては、17世紀初頭、タイに渡った山田長政が知られているだろう。当時は東南アジア各地に日本人町があったが、それ以上の数の中国の商人も南方に渡っていたのだ。
料理とともに伝播されたのが中華ならではの調理法「炒(チャオ)」
今日の状況に決定的な影響を与えたのが第3の時期だ。19世紀、イギリスをはじめとした西洋列強の植民地の拡大と各地で起きたゴールドラッシュで、プランテーション経営のための労働者として特に中国の南の地方の人たちが出国した。
彼らは船に乗せられマレー半島の海峡植民地はもとより、アメリカ大陸やオーストラリア、イギリス、南米にまで渡った。今日、世界のチャイナタウンで食べられるのが、主に中国南方の広東料理であるのはそのためだ。
世界のチャイナタウンで飲茶が食べられるのは19世紀の中国南方移民が起源
そして第4の時期は、20世紀後半から21世紀の現在に至る新華僑の出国ラッシュである。とりわけ21世紀以降に出国したのは、かつてのような労働者ではなく、豊かな時代に生まれた留学生や高学歴のビジネスマンである。彼らはひとつの場所にコミュニティを形成することは少ないものの、SNSを通じて結ばれている。
「ガチ中華」誕生の背景には、このような中国の人たちの第4の出国期がある。こうしたことから、世界の人たちがそれまで知らなかった「ガチ中華」こと、「現代中華料理」が各国にもたらされる時代が到来しているのである。
いまやワールドワイドで広がる中華料理だが、このほどこれらの現在地を知るために役立つ内容を、筆者と東京ディープチャイナ研究会の有志によって「世界の中華料理図鑑」(学研)という本にまとめた。
同書では、中国四大料理(北京、上海、四川、広東)のみならず、湖南料理や雲南・貴州料理、福建料理、東北料理といった地方料理や21世紀に生まれた新作料理に加え、日本の町中華や韓国中華、インド中華など、世界各地に伝播された中国由来の現地化した料理まで広く紹介しているので、もしよろしければご一読いただきたい。
連載:東京ディープチャイナ
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